097 54300005――― 3 0 0――表3 国別高等教育機関就学者数(1961/62年度)留学先および留学先別就学者数(人)ヴォワールフランス230183――――208 32 38――フリカでは、高等教育機関の数が限られていることもあり、自国およびアフリカ大陸の外へ出て就学する傾向が見られる。次に表3では、国外の高等教育機関就学者数に関して、留学先の国別人数の内訳を示した。Education in Africa, Tananarive, UNESCO, 1963, p.232, pp.266-270より著者作成。コートディヴォワール、セネガル、オート・ボルタに関しては、国外就学者数に自国以外のアフリカ諸国が計上されておらず、算出方法が異なるため、国別の数値は得られない。しかし、その他の西アフリカ諸国の状況を見ていくと、フランスの高等教育機関へ就学する人数が過半数以上を占めていることが分かる。先に述べた通り、西アフリカで高等教育機関が設置されているのはセネガルとコートディヴォワールであるが、セネガルへ比較的多くの留学生を送っているダホメにおいても、159人にとどまっており、フランスへの留学生230人には及んでいない。また、コートディヴォワールに関しては、データの得られた国のうち、ニジェールのみが5人の留学生を送っている。他国に先駆けてフランスから独立し、社会主義体制をとったギニアに関しても、ロシアへ62人、ドイツへ56人(うち東ドイツへ44人)、アメリカへ43人と比較的多様な国を留学先としているものの、フランスへの留学生数は183人と突出しており、高等教育への就学に関しても依然としてフランスの影響下に置かれていたことがうかがえる。これらの統計数値から見えてくるのは、西アフリカではフランスからの独立後も、教育の地域間格差が歴然と存在していること、西アフリカで高等教育まで進学が可能なわずかな層にとって、旧宗主国フランスの教育機関への進学が、多くの場合ほぼ唯一といっても過言ではない、有力な選択肢だということである。この背景としては、西アフリカ域内において高等教育機関が一部の地域にのみ設置されており、進学希望者数に対して量的に不足していたことや、フランスにおける留学生の受け入れ体制が整備されていたこと、また、学生のそれまでの学習言語と高等教育機関で用いられる教授言語との符合、さらに、留学先を決定する学生本人の志向などの影響がセネガルコートディ159 7― 0 16 19――ダホメギニアコートディヴォ―ワール 5マリ 0モーリタニア 0ニジェール―セネガル―オート・ボルタ※1960/61年にアフリカ以外で学んだ学生数。「―」はデータなし。出所: UNESCO, The Development of Higher Education in Africa, Report of the Conference on the Development of Higher アメリカドイツ 156ロシア 06222 0 0――43国外就学者数合計(人)395448その他561※271 48 62364※ 95※33 0 0――
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