0.30.20.40.090.090.030.50.05表2 高等教育進学者数(1961/62年度)20-24歳の就学可能人口(千人)地域別就学者数(人)国内 ― ―441 ― ― ―587 30※※136214231293 53205212260 42ダホメギニアコートディヴォワールマリモーリタニアニジェールセネガルオート・ボルタ※ 1960/61年にアフリカ以外で学んだ学生数。 ※※1961/62年にアフリカで学んだ学生数。「―」は該当なし、もしくはご出所: UNESCO, The Development of Higher Education in Africa, Report of the Conference on the Development of Higher ダホメやコートディヴォワールなどの農村部の比較的教育制度の整備が進んだ地域では30%台の就学率があり、マリやニジェール、オート・ボルタといった農村部では、それぞれの就学率が7.7%、3.3%および6.8%という低い数値に留まっている。植民地期の総督府を擁し、教育環境の整備が進んだセネガルは、23.8%とダホメやコートディヴォワールに比べて数値が低くなっているが、この理由の一つとして、第二次世界大戦後に西アフリカの教育局長を務めたジャン・カペルは、総督府所在地ダカールへの顕著な人口流入を指摘している10。さらに、高等教育の進学率に関しても、ユネスコの統計数値を参照すると、独立後の1961年に表2のような地域差が見られた11。Education in Africa, Tananarive, UNESCO, 1963, pp.223-226より著者作成。表2では、就学可能人口としての潜在的な学生数を、20歳から24歳までの推定人口のうちの80%として割り出している12。また、国内の高等教育機関および海外の高等教育機関への就学者数と、その合計の総就学者数をもとに、就学可能人口に対する総就学者数の割合を示している。1961年の段階で高等教育機関が設置されているのは、高等教育センターが開設された(1959年)コートディヴォワールと、ダカール大学が創設された(1957年)セネガルのみである。両国の高等教育の就学率は他の西アフリカ諸国に対して高く、それぞれ0.4%、0.5%となっている。オート・ボルタの0.05%やニジェールの0.03%に比べると10倍以上の差があり、高等教育への進学に関しても地域差が大きいことが分かる。また、コートディヴォワールでは国内の高等教育機関への就学者数が441人、アフリカ大陸外での就学者数は561人となっており、アフリカ以外の国への留学者が多い。また、ダカール大学を擁するセネガルは、国内での就学者数が587人であり、アフリカ大陸外への留学者364人よりも数は勝るものの、コートディヴォワールと同様に、アフリカ大陸外に多くの留学生が送られている。国内での就学者数の正確な数値の得られなかったオート・ボルタに関しても、他のアフリカ諸国での就学者が30人、アフリカ大陸外での就学者が95人と、大陸外への留学傾向が強い。西アくわずか。総就学者数(人)就学可能人口に対する総就学者数の割合(%)国外395448561※271 48 62364※ 95※3954481,0022714862951125
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