6 1978年から開始された中国国内体制の改革および対外開放政策である。7 1979年から2015年まで導入された厳格な人口削減策、計画生育政策を指す。一組の夫婦につき子8 安超(2020)「科学浪潮与養育焦慮:家庭教育的母職中心化和児童的命運」『少年児童研究』 第3号、5-16頁、施芸卿(2018)「当妈為何越来越難─社会変遷視角下的“母親”」『文化縦横』第5号、102-109頁、前掲(2)、楊可「母職的経済人化─教育市場化背景下的母職変遷─」、79-90頁。9 前掲(3)、金一虹「社会転型中的中国工作母親」、56-63頁、佟新、杭蘇紅「学齢前児童撫育模式36どもを一人に制限するものであった。的転型与工作着的母親」、74-79頁。10 範俏慧(2021)「中国都市部の育児期女性の性役割規範と役割葛藤対処のロジック─北京の高学歴母親に対するインタビュー調査に基づいて─」『現代中国 研究年報』第95号、81頁。11 鄭楊(2022)「育児は誰の責任なのか─中国都市家族の育児パターンの変化を手かがりに─」宮坂靖子編『ケアと家族愛を問う日本・中国・デンマークの国際比較』青弓社ライブラリー、62-114頁。12 蕪湖市統計局(https://tjj.wuhu.gov.cn/zhsj/tjnj/index.html)「蕪湖統計年鑑」(2021年版)[最終閲覧2022年8月15日]13 大学専科とも呼ばれ、中国の高等教育システムの一環である。修学年限は4年である大学教育に対して、大学専科の教育年限は2〜3年である。大学専科は日本の短期大学に相当する。(黄梅英(2003)「中国の高等教育における学生の移動と学歴の接続システム─専科から本科への進学を中心に─」『学位研究』第17号、94頁)14 「中等専業学校」を指す。中国においては、「中等専業学校」は、中学校卒業生を2〜5年間教育する課程と、高等学校卒業生を2〜3年間教育する課程の2種類があるが、教育目標、卒業生の配属及び卒業生に対して待遇は同じである。(黄学哲(2002)「中華人民共和国における中等専門学校の成立と変遷」『産業教育学研究』第32巻第1号、55頁)15 金一虹(大橋史恵 訳)(2010)「振り返り再考する─中国文化大革命期のジェンダーと労働、そして『鉄の娘』運動」『ジェンダー史学』第6巻、6-9頁。16 鄭楊(2021)「三重の期待─中国都市家族における母親規範のロジック─」坂部晶子編『中国の家族とジェンダー─社会主義的近代化から転形期における女性のライフコース─』明石書店、85頁。17 左際平(2005)「20世紀50年代的婦女解放和男女義務平等:中国城市夫妻的経歴与感受」『社会』第1号、182-209頁。18 1966〜1976年に渡って行われた政治運動である。文革時期においては学校教育が廃止され、社会のさまざまな面で大きな混乱が起こった。19 前掲(15)、「振り返り再考する─中国文化大革命期のジェンダーと労働、そして『鉄の娘』運動」、22頁。20 楊菊華(2019)「新時代『幼有所育』何以实现」『江蘇行政学院学報』第1号、70頁。21 陶艶蘭(2016)「塑造理想母親:変遷社会中育児知識的建構」『婦女研究論叢』第5号、28-32頁。22 蒋純青(2011)「中国における学歴格差社会」『専修大学社会科学研究所月報』第581号、43-44頁。23 「上山下郷」運動(1968〜1980年)とは、文化大革命の時期に行われた全国の都市部に在住する中学生と高校生が農村に行き、農業生産に参加させられた運動である。24 知識青年とは、「上山下郷」運動の中で農村に送られた中学生と高校生を指す。「上山下郷」運動により、合計約1,700万人の知識青年が農村に送られ、当時のほぼ全ての家庭はその影響を受けた。(定宜莊(1998)『中国知青史─初瀾(1953-1968年)』中国社会科学出版社、477頁)25 李雨霏、馬文舒、王玲艶(2019)「1949年以来中国0〜3歳託育機構発展変遷論析」『教育発展研究』第39巻第24号、70-71頁。
元のページ ../index.html#42