早稲田教育評論 第37号第1号
41/228

2 「徹底育児」(intensive mothering)は、アメリカの研究者であるシャロン・ヘイズが提唱した概念で、「母親が代替不可能な担い手」、「完全に子ども中心」、「情緒的」、「時間の密集化」を4つの特徴とし、「母親の自己犠牲のもとに子どもの利益を最優先する」育児スタイルである。(楊可(2018)「母職的経済人化─教育市場化背景下的母職変遷─」『婦女研究論叢』第2号、79-90頁)3 金一虹(2013)「社会転型中的中国工作母親」『学海』第2号、56-63頁、佟新、杭蘇紅(2011)「学4 とは、経済の資源配分を国家の計画によって配分する体制である。生産、配分、流通、金融を全て国家が統制し、全ての生産手段が公有とされる。中国においては、1949年の中華人民共和国が成立以降から計画経済体制が実施され、1978年の改革開放政策まで持続した。5 計画経済時代に形成された保育体制である。0〜3歳児は、衛生部門管轄の「託児所」が保育する。3〜6歳児は「幼稚園」(中国語では「幼児園」)が保育する。「託児所」と「幼児園」を合わせた育児施設は「託幼」機関または「託幼」事業と呼ばれており、親の就労をバックアップする福利厚生機能と子どもの保育機能の双方を兼ね備えたものである。(一見真理子(2010)「中国における早期の子育て事情『一人っ子』『市場経済化』『早期からの教育』の各政策のもとで」『教育と医学』第58巻第6号、504頁)(注)1 育児不安は、中国語では「育児焦慮」と呼ばれている。中国においては、育児不安の社会問題化は海外先進国と比べて30年間ほど遅い。この10年間、中国のマスメディアやインターネットに掲載される育児不安に関わる新聞記事が10万件以上になり、大きな注目を集めている。(呉小英(2021)「母職的悖論:従女性主義批判到中国式母職策略」『中華女子学院学報』第33巻第2号、30頁)齢前児童撫育模式的転型与工作着的母親」『中華女子学院学報』第1号、74-79頁。を増加させている。また、育児の私事化の進行と育児の母親中心化により、母親の子育て負担が増加し、育児の困難となっている。計画経済時代には「託児所」や「幼稚園」といった充実した公的子育て支援が、女性たちの育児負担を軽減させるための好条件となった。しかし1980年代以降、「一人っ子政策」の実施により、子どもの数は急速的に減少し、公的育児支援システムの解体により育児はほとんど家庭の責任だとされるようになった。1980〜1990年代では、夫婦による「共同育児」の提唱により、女性の育児負担はある程度軽減できたが、2000年代以降、育児をめぐる性別役割分業の定着により、育児の責任はほとんど女性だけに集中してしまい、母親の育児負担が大きく強化された。その結果、母親は育児孤立に陥り、子育て不安が顕在化した。現代の中国では、欧米の発達心理学や精神分析学に基づく「良い母」規範の流行にともない、子どもの情緒的ケアと身体的ケアの両方が重要視される中、子育ての内容は一層多様化した。子どもの身体的発達と心理的発達の両方とも配慮しなければいけない現代の母親にとって、増加し続ける子育ての責任は、彼女らに子育ての負担感を感じさせ、精神上、心理的な矛盾と苦痛を感じてしまう。本研究では、母親規範の世代間変容から現代中国の育児不安の原因を明らかにしたが、本研究の調査対象は都市部の中間層に位置する女性であるため、異なる社会階層の母親像についての考察は十分ではない。これについては今後の課題としたい。35

元のページ  ../index.html#41

このブックを見る