Iが語ったように、1980〜1990年代の中国においては、父親も子育てに参加したことがほかの調査者のインタビューからも見られる。当時の家事と育児は、「手の空いている人がやる」とLが語ったように、1980〜1990年代の中国においては、父親の育児参加は広範囲に存在していて、夫婦双方が共同的に子育ての役割を担うことで、母親の育児負担が軽減されることができて、子育て環境は比較的に安定していたと推測できる。③ 知育重視の子育てスタイルHはさらに、子どもたちの成績に関して厳しく育て、「テストの中で必ずいい成績を取るようHと同じように、小学校の数学教員であるGも、息子が小学校に入ってからは家で数学オリ3.3 2000〜2020年代の母親規範と育児不安① 「集団保育」体制の崩壊と祖父母の育児参加301980年代以降、市場経済体制の実施により、社会階層構造は計画経済時代の政治的階層社会から経済的階層社会へと移行した。その結果、学校教育は社会的地位達成・社会移動の重要な手段となり、高学歴の獲得が社会的地位の上昇移動のために最も有効な手段とされるようになった22。このような社会背景の下で、1980〜1990年代に子育てをしていた家庭における子どもの教育の重点は、学校教育で好成績を取るための認知的能力の育成となった。今回の調査対象者の6人は、すべて子どもを塾に通わせるか、家で学習を教えるかなどしており、学校教育を中心に据えている様子が伺えた。例えばHは、大学入試前には娘と息子を先生の家に送って、学校教育の補習を行ったことを以下のように語った。「娘の大学入試前、私は彼女の国語がよくないと思って、国語の先生の家に送って、国語の補習を行った。(中略)息子の時も同じで、息子の物理が弱いと思ったので、彼に知り合いの物理の先生の家に送って、物理を何ヶ月かかけて補習した。」(H)といつも教えた」と述べた。ンピックの問題を教えたと語った。1980〜1990年代の中国において、なぜ子どもの認知的能力の育成に重点が置かれたのかについて、まず学歴社会の進行という社会階層構造の転換がその理由の1つとして挙げられる。しかし、もう1つの理由として、学校教育の機会を失った文革時代を生きた親たちの期待も考えられる。今回の調査者の中で、K、Lを除いた4人はすべて「上山下郷」運動23を経験した元知識青年24である。彼らはHが語ったように「私の小さい頃から成績がいいし、将来は、いい大学に進学できるようずっと頑張っていたが、高校に入ったばかりの時期から文化大革命が開始し、知識青年になった。」という、彼らは文革で学校教育の機会を奪われたことを経験し、その後悔を子どもへの教育を通して晴らすためであるにも解釈できるだろう。1990年代に入ると、 市場経済体制への転換により、計画経済時代に形成された「集団保育」の体制が崩壊し始めた。国家は企業の負担を軽減させるために、計画経済時代において従業者の就
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