Iが語ったように、1980〜1990年代には、都市部における「託児所」や「幼稚園」といった公的子育て支援がまだ充実されている。新中国成立以降、0〜3歳の子どもを保育するために、「託児所」の整備が始まり、1990年代初頭までに徐々に上昇され、1991年時点では、0〜3歳の子どもの入所率はまだ12%に占めている20。Jと同じように、Lの1人娘が生まれたあと、「託児所」にまだ送れなかった時期には、自分の母のところに預けて世話してくれた。しかし、自分の母はまだ仕事に行ったので、昼間には、1人の有料の子守り人を頼んで、子どもの世話をしてくれた。子どもが大きくなると、昼間には託児所に預けてもらって、自分の母が仕事に終わった後には、子どもを託児所から出迎えに行って、Lの仕事が終わった後には、母の家に行って、一緒にご飯を食べた後に、子どもを連れて家に帰ったことを語った。Iは、夫の育児参加について、以下のように語った。託児所や幼稚園に預けることのほか、祖父母の協力的な子育て参加も、この時期においては、よく見られる。例えばJは、長男を生まれた時にはまだ農村に滞在していたので、農村には、「託児所」や「幼稚園」のような託児施設がなかったため、都市部にいる夫の両親は子どもを預けた。Jは、祖父母からの子育て支援を以下のように述べた。「長男が生まれたあと、夫の母は私自分で子どもの世話をするのは大変だと思うので、子どもを彼女のところに預けて世話してくれたと勧められた。私も同意した。当時はまだ農村にいたので、子育て条件もよくなかったので、長男の3歳前の世話はほとんど祖父母が担当した。」(J)1980〜1990年代の子育て支援を求めることを見ると、1960〜1970年代の第1世代と比べると、託児所や幼稚園といった託児施設は相変わらず利用したと見られるが、1960〜1970年代でよく見られる子どもを「全託」の託児所に預けたケースは稀に見えない。また、祖父母の子育て支援を求める一方、上の世代でよく見られる子どもを遠方にいる親の家に長期間に預ける場合も非常に少ない。このような変容から見ると、「一人っ子政策」の実施に伴い家族が子ども中心化することに伴い、子どもの養育は上の世代より精緻化するような傾向が読み取れる。「一人っ子政策」の実施と核家族の進行により、1980〜1990年代の中国においては、子育ての責任の多くは子どもの両親が担っているようになった。陶艶蘭は、1980年代に発行が開始された育児雑誌である『父母必読』の育児言説に対する分析から、1980年代の育児言説においては夫婦両方が共同で育児をすることが推奨されていたと指摘した21。「娘が小さい頃、夫はよく娘を連れて、家の付近の公園にランニングに行った。(中略)娘は学校に通い始めてから、保護者会はいつも夫が行っていた。私は一度しか行かなかった。それは夫が海外出張のために家にいなかったため、仕方なくそうしていた。」(I)29
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