Kが語ったように、1980〜1990年代に子育てをしていた女性たちの語りから見ると、仕事以外に子どもと一緒に過ごした時間が上の世代と比べて明らかに長い傾向が見られる。そのような変容の理由は、Gが述べたように「一人っ子だから、それは当然でしょう!」という、「一人っ子政策」の実施により子どもの価値が高まり、子育てに高い価値が付与されるようになったことであると考えられる。② 充実していた子育てネットワークと夫婦「共同育児」規範Kは、休日や土日に子どもと一緒に遊びに行ったことについて、以下のように述べた。3.2 1980〜1990年代の母親規範と子育てスタイル① 「一人っ子政策」と子ども中心主義的近代家族の形成内労働を後回しにするようになり、「放し飼い」による放任式の子育てが主流になった。1970年代末から、都市部の厳格な出産抑制政策として「一人っ子政策」が実施され始めた。「一人っ子政策」の実施にともない、1980年代から1つの家族における子どもの数は急速に減少し、子どもの価値が高まり、子ども中心型の家族が見られる。今回の調査者はすべて、子どもが小さい頃は暇があれば子どもを連れて市内の遊園地や公園などに遊びに行っていた。また、経済に余裕がある場合は子どもを連れて国内外の観光地に遊びに行くケースもあった。「子どもが小さい頃、よく一緒に旅行に行った。「穷遊」(筆者注:貧乏旅行)もあるし、「富遊」(筆者注:金持ち旅行)もある。赤ちゃんの時は長距離の旅行に行けなかったが、いつも市内の遊園地や「赭山公園」に連れて行った。とりあえず、息子が好きなことで一緒に遊んだ。」(K)1980〜1990年代の中国社会においては、これまでに定着されていた「集団保育」の体制がまだ存続していたため、女性たちの子育て支援として、国から提供した公的育児支援と親族からの子育て支援の両方とも整備され、女性の育児負担を軽減させることが見られる。例えばIは、自分の子どもが小さい頃、「託児所」や「幼稚園」といった公的子育て支援のほか、祖父母からの子育て支援を求めることで子育てしていた様子を語った。「3歳以下、娘は夫の母のところに預けて世話してくれた。昼間、私たちが仕事に行った前、娘を祖母の家に送り、仕事が終わったあとはまた、祖母の家から迎えて行った。(中略)3歳になったら、工場の附属幼稚園に通わせ、毎朝、一緒に職場に行って、子どもを幼稚園に預けてから私は仕事に行った。夜、仕事が終わったら幼稚園から迎えて、一緒に家に帰った。工場の幼稚園は託児所と一貫性のある託児施設だ。3歳以下は託児所で、3〜6歳は幼稚園。うちの工場の女性工人の多くは1日三交代で働いていたので、3歳未満の子どものほとんどは託児所に預けてもらった。」(I)28
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