DとEの4人である。中でも、子どもを寄宿制の「託児所」に送ったケースもある。Eと同じように、Bも次男が生まれた後、自分の母親の体が悪かったことから、親族に子育てに仕事していた7人の女性幹部に向けてのインタビュー調査から、計画経済時代の中国においては、「家国同構」(国家を家が拡大したものと捉え、家と同様に家父長主義に基づいて国家を営むこと)の社会システムの下で、男女問わず仕事に対する強い熱意を持つことがよしとされ、あらゆる階層の女性が仕事に参加することは婦女解放のシンボルとして扱われたと述べた。「捨小家,為大家」 (国という「大義」のために、自分の家庭という「個」を犠牲にする)というスローガンからもわかるように、公的領域の生産労働と私的領域の生産労働が対立した時はほとんど、公的領域の生産労働を優先として個人の気持ちが支えられていたことを左は指摘した17。② 充実していた子育てネットワークと「放し飼い」子育てスタイル計画経済時代において、女性の公的領域での生産労働を推進させるために、政府は親の就労に合わせて0〜6歳まで子どもの保育・教育施設を整備し、「集団保育」の制度が整った。今回の調査において、子どもを「託児所」や「幼児園」に送った経験がある女性は、B、C、「3番目の子どもは寄宿制の託児所に預けた。私と夫は共働きなので、子育ての時間があまりなかった。長男は夫の母のところに預けた。2番目の子どもは母に助けてもらった。3番目の子どもは誰にも助けてもらえなかったので、寄宿制の託児所に送った。月曜日の朝に子どもをそこに送って、金曜日の夜に子どもを迎えにいった。」(E)の支援を求められず、次男を全託制の「託児所」に送ったと述べた。公的な子育て支援のほか、もっとも普遍的なのは、両親(祖父母)をはじめとした親族からの子育て支援である。両親(祖父母)と同居している場合は、両親(祖父母)からの子育て支援がより得られやすいが、両親(祖父母)と同居していなかった場合でも、例えばAとFのように、子どもを遠方にいる実家に預け、何年間も子どもと離れて過ごしたケースも少なくない。しかし、興味深いのは、女性たちは子どもを寄宿制の「託児所」に預けたことや、遠方にいる実家に預けたことなどによって、長時間、時には何年間にも渡って子どもと会えなかったことに対して、ほとんど心理上の不安や母親としての罪悪感がないように見えたことである。中でも、例えばBは子育てや家事などといった家庭内労働を「小事」(重要ではないこと)と捉え、仕事や社会活動といった「大事」(重要なこと)と相対化して、「大事」である公的領域での貢献を実現させるための必要な犠牲として認識していた。計画経済時代を生きた女性の、公的領域と私的領域での生産労働に対する両極的な捉え方は、毛沢東時代の唱えられたジェンダー・イデオロギーと緊密に関わっている。金一虹は「計画経済時代中国の主流イデオロギーにおいて、女性が私的領域においておこなう活動の価値はずっと低く見積もられてきた。文革18期間中、女性の家庭役割は未曾有の程度にまで貶められ、公的領域と私的領域の区分は革命的であるかないかという次元に至った。進歩的であり続けようとするモデル労働者の女性にとって、家事や子どもをもつことは負担となり『足かせ』となった19」と述べた。このようにして、女性たちは公的領域の生産労働を最重要視していた一方、子育てや家庭27
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