住二大隅国一良孝朝臣進二色革六十枚・小手革六枚・赤木二切・檳榔三百把・夜久貝五十口一。38 城久遺跡群は出土遺物からⅠ期(9〜11世紀前半)・Ⅱ期(11世紀後半〜12世紀前半)・Ⅲ期(13世紀〜15世紀)に分けられる。39 [喜界町教育委員会 2015]40 『小右記』長元二年(1029)八月二日条41 ヤコウガイは平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂を飾る螺鈿細工にも用いられ、またヤコウガイ製の酒杯は『枕草子』にも登場する。42 大宰府ないしは「中央」から派遣された人々がどの程度滞在したかについては、さらなる検討が必要である。43 [永山 1993][永山 2021]44 11世紀半ば過ぎに成立した藤原明衡の『新猿楽記』には、八郎真人について「西渡二於貴賀之島一、交易之物、売買之種、不レ可二称数一。」とあり、様々な産物があげられている中に唐物、夜久貝、硫黄がみえる。キカイガシマに役所が設置されていなくても、交易拠点であったのであればこの記述とも整合する。45 [永山 1993][永山 2021]46 [永山 2007b]47 『吾妻鏡』文治四年(1188)二月二十一日条48 [永山 1993]49 [奄美市立奄美博物館 2021]50 多褹嶋の廃止の段階ではこれらの島は種子島とともに大隅国に併合された。51 [永山 1993][奄美市立奄美博物館 2021]52 [奄美市立奄美博物館 2021]53 「金沢文庫蔵日本図」では対馬や隠岐も龍の外側に描かれているが、それについては別稿を期したい。54 [奄美市立奄美博物館 2021] なお、安里進は城久遺跡群を中心とする喜界島において農耕技術やグスク時代人の祖型を含めた「グスク文化の原型」が形成され、さらに農耕の展開によって人口が増大したことで11〜12世紀に奄美・沖縄への移住が始まり、グスク時代が幕開けしたと提起する。[安里 2013]55 [高梨 2021]56 [奄美市立奄美博物館 2021]57 [砂川 2000]58 琉球王国の「帝国性」については近年注目されており、国立歴史民俗博物館では特集展示「海の帝国琉球─八重山・宮古・奄美からみた中世─」(会期:2021年3月16日〜5月9日)が開催された。59 [紙屋 1999][紙屋 2003]60 このような琉球王国の状態について、しばしば「日中両属」と表現されてきた。しかし近年では、近世の日琉(薩琉)関係についての見直しが進んでおり、両属性の内実について再検討されている。([豊見山 2004]他)61 ただし、公的には奄美を「琉球国之内」として取り扱い、対外的には琉球王国を装うことを強制した。62 [奄美市立奄美博物館 2021][高梨 2021]63 [山内 2009][山内 2021a][山内 2021b]64 [千葉 2014]65 下関条約に琉球に関する規定はないが、千葉功は「琉球の帰属問題が決着するのは、日清戦後の20
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