早稲田教育評論 第37号第1号
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北京において顕著である。改革開放政策以降、数多くの人々が北京へ集まり、中国の各地域から出てきた人々や、外国から来た人々がそれぞれ自分たちの集住するコミュニティを創造している。この意味では、北京は多文化共生の都市として捉えることができる。北京へ移動した人々の中でも、朝鮮族は特徴的であるとされる。歴史的にみると、朝鮮族とは、中国の土着民ではなく、もとは朝鮮半島からの移民である。19世紀以降、朝鮮半島の自然災害と農村経済の疲弊により、貧困にあえぐ朝鮮の農民が、国境を越えて中国の東北地方へ移動したことが移民のはじまりである。彼らは1949年の中華人民共和国成立とともに、中国五十五の少数民族の一つである「朝鮮族」として中国国籍を得た。1952年には『民族区域自治実施要綱』の発表により、延辺朝鮮族自治区が誕生した。朝鮮族は1990年代までは主に中国の伝統的居住地域2に居住しており、主に朝鮮族独自の村落を形成して、稲作を中心とした農業をしながら生活していた。しかし、1980年代に始まった中国の改革開放政策によって国内移動の規制が緩和され、労働力、人口の移動が自由に行われるようになった。このような時代背景の変化と、1992年の中韓両国の国交樹立を契機として、朝鮮族は自治区及び彼らが全体的に多く居住する東北三省から、非伝統的居住地域3である沿海都市、北京、天津、上海の三つの直轄市、珠江デルタの都市、さらに韓国、日本へと移動し、新たな居住区を形成するようになった。李(2009)によると、それらの人々の移動によって、国家内部に数多くの民族コミュニティが存在するようになり、その民族が周囲の民族との関係を構築する過程で、各自の文化を主張することは今後も増大し、また複雑化することが予想される。多文化社会化が進んでいる現在では、この状況をより深く知ることが求められる。朝鮮族人口の大規模な都市進出は、民族の全体的な資質を急速に高め、朝鮮族の生産、ライフスタイル、価値観にも大きな変化をもたらす。他方、このことは民族自治地方と伝統的居住地域の民族構成にも影響を及ぼしており、現在の民族文化伝承及び次世代への民族教育にも大きな影響を与えていると推測できる。民族言語教育は民族文化の継承と相互作用し、民族文化の伝承の再構築及び発展につながるものである。中国の少数民族教育において、民族学校は基本的に各少数民族の自治区及び彼らが長年集住してきた地域にのみ設立されてきたため、新たな移動先には民族学校はほとんどの場合設置されていない(趙 2013)。たとえ民族学校が存在する所でも、資金・政策など様々な制約条件で苦境に陥っている。一方、今日中国の急速な経済発展により、漢語(中国語)の世界的需要も高まっている。中国国内においても、市場化の進展とともに、漢語の言語的な市場価値も上昇したことで、国内の少数民族が漢語を習得する必要性も高まりつつある。こうした教育環境の中で、移動した朝鮮族は自民族言語を維持するか、それとも放棄するかの選択肢を迫られており、次世代が民族言語に全く関心を持ってないことに困惑している。すなわち、現在の北京における朝鮮族移住二世は、自分が朝鮮族であるのに民族言語を少ししか知らない、あるいはまったく知らない、読み書きもできないという葛藤にさらされた世代である。本研究では、上記の問題意識から出発し、中国の改革開放政策実施後において、これまで暮らしていた朝鮮族の伝統的居住地域と異なり、マジョリティとしての漢民族が絶対的に優位を持っている北京において、人口移動を経た朝鮮族の民族語である朝鮮語継承の状況を明らかにし、彼らが次世代に対してどのような教育を行っているのかなど、教育戦略の実態を検討したい。162

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