6.指導との不整合6-1.無条件的な関わりと指導の並立ど、この子こうやって発信してるね、(発信が)できるようになったねとか、こういう発信の方法以外って見てこなかったよね?っていう部分を見るのがSSWrだったりしたときに、それ(見方)が両方お互いにあって、じゃあ先生はあえてというかちゃんとそれ(問題行動であること)を伝えます、だけどSSWrさんフォローをお願いね、というやりとりができたときはチームとして動けているなぁと思いますね。Fさんは、金髪で学校に来ない生徒に対して教員が「ちゃんとそれ(問題行動であること)を伝え」るという「指導を入れる」のに対し、SSWrである自身はそれを「(発信が)できるようになった」と捉え、「フォロー」をするという。SSWrの視点とは、指導が必要な場面においても、それを児童生徒の「発信」と捉え、教員とは異なる眼差しを重ねようとするものである。このようにSSWrは、教員による指導の必要性を維持しながらも、できるようになったことに着目する視点を重ねようと試みている。SSWrが展開するソーシャルワークは、4.で述べたように学校外の家庭へと支援の範囲を拡大させるのみならず、学校内において眼差しを多重化させるという実践としても現れているのである。ただし、以上で述べてきた2つのソーシャルワークの支援は、学校の指導との関係性という点では異なる結末を見せている。4.で述べた「家庭への支援拡大」は、学校の指導との間で並立しているのに対し、5.で述べた「眼差しの多重化」は、学校の指導との間で不整合が生じていたからである。以下で具体的に論じていこう。4.で述べたSSWrの「家庭への支援拡大」は、教員の指導とは異なる関係性を児童生徒と結んでいる。Gさんは次のように語る。Gさん: お子さんがなかなか外には出れないとか、学校の人にはちょっと会いたくないとかってというときに、SSWrっていうのはある種こう、立ち位置があいまいな人間なので。そういうときにやっぱり子どもは(SSWrとならば)会いやすいというか。利害関係がなかったりするので。(中略)学校の先生だと、どうしても「先生にどう思われちゃうかなぁ」と思う子もいらっしゃるんですけど。SSWrというか、「ぱっとやってきた人にどう思われてもいい」というところもあったりするので。Gさんは、「なかなか外には出れない」、あるいは「学校の人にはちょっと会いたくない」子どもがSSWrと会いやすい理由として、教員とは異なり「立ち位置があいまい」で「利害関係がな」いことを挙げる。例えば児童生徒と次回の登校日を設定するといったような条件を課すといった指導的な関わりを持たないため、児童生徒は「『先生にどう思われちゃうかなぁ』と思」うことなく、SSWrと気軽に会うことができるのである。Gさんはこのようにして、教員が児童生徒と117
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