5.眼差しの多重化116Eさんは、「10分ぐらいしか(家庭に)居られなくてすぐ(学校に)帰ってこなきゃいけない」担任教員と対照的に、時間に関する条件を付すことなく、1、2時間子どもと一緒にいるような関わりを持てたことで「子どもに合わせた時間の動き方」ができ、児童の外出につながっていったと語る。児童生徒が学校に来ていれば、教員は時間の隙間を見つけて関わることができる。しかし不登校で学校に来ていない場合には、家庭訪問に要する時間を確保できない限り関わるのは難しい。SSWrはこうした教員にはできない「柔軟な動き」、すなわち家庭へと支援範囲を伸ばすことが可能である。このようにソーシャルワークは、学校が対応に窮する家庭への支援の拡大に貢献するという点で、学校における教員の指導と整合的な関係にあるといえる。概念化されたソーシャルワークの支援はもう一つある。それは「眼差しの多重化」である。D先生は、SSWrの支援を振り返って次のように語る。D先生: (前略)SSWrの方に関わっていただくことになって、子どもにしても保護者にしても、あるいは教員にしても、もちろん私自身もそうなんですが、新しい視野で見ることができる、そのきっかけになりましたね。筆 者:新しい視野とはなんでしょうか?たとえば?D先生: 学校というのは、どうしても学校文化というのがあって、社会常識だとか、社会一般の方はこう考えるだろうという視点がどうしても狭いんです。(中略)そこに、別な、学校現場にはいない新たな方が、まぁアドバイスということではないんでしょうけど、意見を述べてくださることによって、あぁ、こういう考え方もあるのか、なるほど、こういう風に子どもを見ることもできるのか、保護者の考えは、だからこうなんですね、ということで、保護者の考え方を(教員とは)別の視点で、見ている声を聞いて、反対の視点があったんだなぁという(ように気づく)機会になりました。D先生は、SSWrが子どもや保護者、教員に関わることによって、子どもや保護者の考えを「新しい視野で見ることができる」ようになったという。こうした新しい視野は、「社会常識だとか、社会一般の方はこう考えるだろうという視点がどうしても狭い」学校文化を相対化し、教員が理解できないでいた子どもや保護者を理解する助けとなっているのである。では、そうした学校文化を相対視する新しい視点とはどのようなものか。Fさんは次のように語っている。Fさん: 一方的なやり取りではなくて、やっぱり局面が局面になれば、学校の方針とSSWrの方針って同じにはならないんですね。なんですけど、根本は同じなんですね。子どもにとっていい状態を作るとか、子どもにとって利益があるとか、この子を助けたいとか。そのやり方がすごく違う。けど、その違いをお互いに認め合えるのが良好な関係かなぁと思っています。例えばそれこそある子がものすごく金髪で、家庭的にいろいろ背景があって、制服を着崩して、学校に来ない。先生としては指導を入れる、だけ
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