2.先行研究の検討2-1.教育学研究「学校」をフィールドに福祉的な支援に従事するSSWrの先行研究は、教育学と社会福祉学の双方で蓄積されてきた。しかし学校におけるソーシャルワークと指導との関係は、それぞれの学問的関心の中で十分に明らかにされてこなかった。別的に支援が行われることが多い4。つまり学校でソーシャルワークが行われることは、集団性を基盤に全人的な指導関係を築く指導とは異なる関係性が児童生徒との間で築かれることを意味する。これまで教員が築いてきた児童生徒との支援関係の中から、その一部をSSWrが取り出して担うとなると、集団性や全人性といった指導関係が崩れてしまう。以上の仮説的理解に基づけば、学校においてソーシャルワークと指導とは整合的な関係を取り結ぶことができるとは考えにくい。むしろ、指向性を異にする両者の間で何らかの不整合が発生することが考えられる。そこで本論文は、学校においてスクールソーシャルワーカー(SSWr)が展開するソーシャルワークと、教員の指導との間には、どのような関係が生じているのかを明らかにすることを目的とする。まず教育学であるが、SSWrは学校に新たに加わった新しい専門職として、主に教員の役割を強調する文脈で言及されるにとどまってきた。具体的には、福祉的支援を専門的に行うSSWrが学校に加わったとしても、教員が「教育的指導に専念してはならない(石戸 2011)」、あるいは児童生徒と教員の「直接の関係」をSSWrに奪われてはならない(原内 2004)、あるいはもう少し抑制的に、教員がSSWrと連携してもケアの役割から解放されるわけではなく、「教員自身が子どもの貧困問題に取り組む必要がある(柏木 2020)」といった、教員が狭義の指導に止まらない役割を担い続けなければならないという規範的主張である。こうした言及は実証的な分析に基づいていないほか、関心の主眼は教員であるため、ソーシャルワークと指導がどのような不整合を生じさせているのかは不明である。また、「学校という実践現場が子どもの福祉(しあわせ)にとって実際的に責任をもち、具体的な担い手である教育職や社会福祉職(SSWr)の双方に求められる「コア」となる理論を構築する学校福祉論(鈴木 2018)も、鈴木自身が「目的意識と志向性」をもつと述べているように、指導とソーシャルワークの重なりに焦点化するあまりその違いを捨象してしまう危険性を有している。実践上、重なりを追求することの意義はあるが、研究それ自体が検証の過程で規範的主張を帯びてしまうと、規範の域に収まらないネガティブな側面、ひいては規範通りに実践できない現場の苦しみを捨象してしまう可能性がある(2−2.でも詳述)。こうした規範的主張から距離を取るのが教育社会学研究であるが、こちらも関心の主眼は教員、あるいは学校内の秩序である。保田(2014)は、児童生徒の問題を取り上げ、それを専門職も含めて誰が担うのかを決めるゲートキーパーの役割を教員が担っていることを明らかにした。教員はスクールカウンセラーやSSWrとは異なり児童生徒の日常を見ることができるため、教員が中心となってスクールカウンセラーやSSWrが「黒子」になるといった役割分担が語られている。しかしこうした秩序は、ソーシャルワークが学校で展開される過程で生じた不整合が乗り越えら110
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