早稲田教育評論 第37号第1号
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図4 『民衆学校課本』第3冊第15課「世界一周」の挿図 利益を得た。イギリスはチベットを惑わし、フランスやアメリカは我が国の属国を奪った…(下線筆者) この内容のように、1934年の教科書においては、日本やソビエト連邦、イギリス、フランス、アメリカ諸国による侵略の事実や、それを批判する記述が殆どであった。その中で中国の他国との対立関係が強調され、世界各国が主にマイナスなイメージで描かれている。つまり教科書にある外国に対する記述については、排外的な言説が目立った。当時では、このような記述は民衆の愛国心を激励するための「国恥教育」の一環として用いられた。こういった表現は、中国の日本を含む列強諸国から受けた侵略の事実につながるものだが、日本を初め列強各国はこのような記述を激しく非難した。砂山幸雄は「「支那排日教科書」批判の系譜」の中で中国の排日教科書に対する日本側の動きを整理した。それによると、満州事変後の塘沽停戦協定の交渉過程において、日本側は「日本政府及び国民の誤解を一掃する為には」、「排日団体、党部の解散、排日教科書の廃止」15などを国民政府に要求した。そして1935年に、国民政府は広田外相が主張した「和協外交」に応えて、教科書審査にあたる国立編訳館に「以後、小中学校の教科書審査にあたり、国恥教材は実の正確な叙述と健全な民族意識の要請に注意し…恨みを単純に煽動するような言辞を使わせないように」16と命令した。砂山幸雄は、日本軍部の意図として、排日教科書に対する批判はあくまでも侵略のための1つの口実に過ぎない17と指摘したが、1935年以降に出版された中国の教科書では、掲載される世界各国のイメージはかなり変わってきた。ここでは1936年に出版された『民衆学校課本』の第3冊第15課「世界一周」の内容を取り上げて、世界各国の変化したイメージを確認する。「世界一周」という文章は、1人の飛行家を主人公として、彼が世界一周の旅に日本やアメリカ、イギリス、フランスなどの国を訪れ、各国の風土や特徴を紹介するという内容である。各国の具体的なイメージは以下の通りである。101

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