の五色は、赤=漢、黄=満、藍=蒙、白=回、黒=西蔵の五族共和を意味する。1912年から1927年までの北京政府期において五色旗は中華民国国旗として使われ、各界から認知されていた。一方で国民党の創設者、指導者である孫文は長年にわたって五色旗を全面的に否定し11、先烈の血に育てられてきた青天白日満地紅旗の正当性を訴えた。1928年、北伐の勝利によって国民党が政権を獲得した。同年12月17日、国民政府は「中華民国国徽国旗法」を公布し、中華民国の国旗は五色旗から青天白日満地紅旗となった。青天白日満地紅旗の青・赤・白の3色は国民党の基本綱領である三民主義に由来し、青は民権主義で正義を、赤は民族主義で自由と独立を、白は民生主義で友愛を象徴する。また左上に描かれている青天白日の紋章は中国国民党の党章にも使われていた。このことについて、小野寺史郎は著書『国旗・国歌・国慶:ナショナリズムとシンボルの中国近代史』の中で、青天白日満地紅旗という国旗は不可避的に「中華民国の国旗」であると同時に「国民党の国旗」であったと指摘した12。そして国民政府のナショナル・シンボルの政治は、国民党・三民主義と分かちがたく結びつけられた国旗である青天白日満地紅旗の下で、社会的諸団体に国家への忠誠を誓わせるのと同時に、それらを党のイデオロギーの統制の下に置こうという試みと結びついていた点に特徴があった13。その意味で、『民衆学校課本』の第1冊第2課「国旗」にある「私たちは国を愛し、国旗も愛する」というフレーズの背後には、「私たちは(国民党が指導する中華民)国を愛し、(三民主義という国民党政権が提唱したイデオロギーを反映した)国旗も愛する」、という意味が含まれていたものと思われる。このように、教科書によって民衆の愛国心を育てると同時に、国民党政権のイデオロギーに対する帰属意識も密かに育成しようとしたものと推測できる。さらに、『民衆学校課本』第1冊の末尾では国民党の党歌が取り上げられている。この党歌は、当時は国歌としても使われていた。そして、前述の国旗をめぐる論争と同様に、党歌には党と国の曖昧化、あるいは混同が再び見られた。当時、国民党の党歌は国歌としても使われたが、その歌詞は冒頭から「三民主義は、我が党の尊ぶところである」であり、明らかに国民党の政治的イデオロギーを強調する内容が見られる。このような内容は国歌として相応しいかどうかは疑問であるが、それにもかかわらず、この党歌は1930年3月から代用国歌に採用された。このことに対して、『中央日報』という国民党の機関紙は「党が即ち国家であり…国歌に相当するものとしての党歌」というように国歌の党歌化を正五色旗図2 五色旗と青天白日満地紅旗青天白日満地紅旗99
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