早稲田教育評論 第37号第1号
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2.民衆教育教科書の出版状況 地で広がり、活発な教育活動が展開された。そして1934年までに、既に多くの民衆教育施設が整備されていた。従来の図書館、体育場、民衆教育館、義務学校、平民学校、博物館に加え、新たな民衆図書館、民衆学校、郷農学校、農民班、農村工芸伝習班、合作社訓練班、工人学校、民衆茶園、民衆病院、農民教育館、郷村改進会、国民補修学校などの施設が立ち上げられた。さらに、これらの施設では民衆教育に関する多種多様な教育活動が取り組まれた。例えば1933年の時点で、江蘇省立徐州民衆教育館が展開した教育活動は約50種類に及んでいた1。しかしながら、教育内容が充実する一方、雑多な民衆教育の施設、また数えきれないほどの教育活動において、「まるで霧の中に立たされているように、眩しくぼやけてしまい」2、内実として民衆教育は曖昧模糊なものとなっていた。民衆教育の実践活動を単に考察することから、民衆教育の内実やその目的を把握することは難しいと考えられる。従って、中華民国時期の民衆教育の性格を明らかにするために、民衆教育の教科書の内容を分析する必要があると考えられる。これまで中華民国期の教科書に関する先行研究では、大里浩秋など(2010)『近代中国・教科書と日本』3や、鈴木正弘(2009)「民国期の歴史教科書におけるナショナル・アイデンティティの方向性─中等学校「中国史」教科書における総論部の分析─」4などがある。これらの研究は学校教育を中心に検討したものであり、歴史教科書や国語教科書を対象にして分析しているが、民衆教育の教科書についての研究は行っていない。そして、その時期の民衆教育に関する研究は、民衆教育館という教育施設についての研究が主流である。周慧梅(2012)『近代民衆教育館研究』5や、朱煜(2012)『民衆教育館与基層社会現代改造(1928−1937)』6は緻密な史料に基づいて、マクロの視点から民衆教育の時代変遷を検討した。また、ミクロの視点からの研究も多く見られる。例えば、李冬梅(2010)「抗戦前江蘇省立民衆教育館事業活働述評」7、孫一凡(2016)「江蘇省立徐州民衆教育館与近代徐海地区基層社会」8などが挙げられる。これらの研究は、1つの民衆教育館に焦点を当て、民衆教育館の内部統制や事業に重点を置いて論じていた。しかし一方、具体的にどのような教科書を使って、いかなる知識や技能を民衆に伝達したのかという民衆教育の内実に対する検討は不十分であると考える。そのため、本稿では、1936年に出版された『民衆学校課本』を取り上げ、当時の民衆教育は民衆に何を伝えようとしていたのかということを解明し、民衆教育の具体的な教育内容や、国家が望んでいた国民の姿を明らかにしたい。中華民国期の教科書制度は概ね、教科書審定制度を採用していた。教育部のほか、商務印書館、中華書局、世界書局といった民間の書局も教科書の出版に携わった。1928年から新中国成立までの間に、合計1659冊の教科書が出版された9。また、同時期には民衆教育の推進のために、数多くの民衆教育教科書が出版された。94

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