早稲田教育評論 第36号第1号
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2こうした国際的な批判的思考への関心は、国内の教育政策にも影響を与えている。例えば、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会が2016年に提出した「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめ」(平成28年8月26日)では、「物事を多面的・多角的に吟味し見定めていく力(いわゆる「クリティカル・シンキング」)」(p. 34)が必要であることが明示され、教科・科目の枠を超えて批判的思考を育成することの重要性を指摘している。こうした議論の流れを受け、高等学校学習指導要領(平成30年告示)においても、批判的思考は問題解決力と論理的思考力の重視とともに強調されるようになった。世界規模で批判的思考の重要性が叫ばれた2000年以降から、国内においても、高等学校での批判的思考指導に係る研究と授業実践が積極的に行われている。CiNii Articlesで「批判的思考」あるいは「クリティカルシンキング」という検索語に加え、「高校」あるいは「高等学校」を入力して検索すると、1999年までは3件に留まるが、2000年以降は、重複する論考を除いて150件以上がヒットする(2021年9月21日現在)。一方で、高等学校の授業では、批判的思考指導が十分に行われていない現状も垣間見える。例えば、Kawano(2016)や孫工・江利川(2019)らは、高等学校外国語(英語)科の検定教科書を分析し、暗記・理解するといった低次思考の学習活動の割合が多いことを指摘し、分析・評価するといった批判的思考に結びつくような高次思考の学習活動が十分に行われていない現状を報告している。峰野(2018)は、高等学校で使用されている数学の検定教科書を分析した上で、批判的思考を含む設問は全体の1.7%程度に留まることを指摘するなど、割合が低い状態であることを示している。このように、高等学校段階における批判的思考育成は発展途上であると言え、教育方法の確立が喫緊の課題となっている。以上の文脈から注目に値するのが、国際バカロレア機構が提供するIBプログラムである。国際バカロレア機構は1968年にジュネーヴで発足した非営利の教育団体で、3歳から19歳を対象に、4つの教育プログラムを提供している(International Baccalaureate Organization, n.d.)。そのうち、高等学校段階で提供されるディプロマ・プログラム(Diploma Programme: DP)は、学習者の多面的な資質や能力の育成を目指しており、特に批判的思考の育成に注力している教育プログラムであるとされる(Aktas & Guven, 2015; International Baccalaureate Organization, 2017)。このことから、IBプログラムは、日本の高等学校において、批判的思考指導を行うための新たな教育方法の開発への道筋を立てる上で、格好の対象となり得る。そこで、本稿では、第2節において、IBプログラムにおける批判的思考の位置づけを整理し早稲田教育評論 第 36 巻第1号IBプログラムはもともとジュネーブ・インターナショナルスクールの子供達を対象として、そこで働く教員らが1962年に発案した教育プログラムである。その後、英国教育省やオランダ政府、ドイツ政府、ユネスコ、銀行や企業からの支援を受け、1967年に汎用性のある「IBプログラム」として運用を開始した(Peterson, 1972)。当初は国際的な移動を伴う子女を対象とし、欧州及び北米の国際学校を中心としてその導入が限定的に行われていた。一方、文部科学省IB教育コンソーシアム(2021)によれば、2021年6月30日時点で、世界159以上の国・地域、約5,500校においてIBプログラムが導入され、国内の学校教育法第1条に規定されている学校においても53校で導入済という。

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