早稲田教育評論 第36号第1号
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21 景宋「魯迅先生と海嬰」『魯迅風』第18号(1939年),3頁。22 同上,4頁。23 同上。24 東岑「論家庭教育的改革」『婦女雑誌』第14巻第12号(1928年12月),2-6頁を参照。25 同上,3頁。26 前掲 陳品娟「児童教育:母親的責任」,45頁。27 周敘琪『一九一〇〜一九二〇年代都会新婦女生活風貌─以《婦女雜誌》為分析案例』,国立台湾大学文史厳刊(100)台北:台湾大学出版委員会,1993年,176頁。28 洪競芳「小家庭的主婦:我的意見如此」『婦女雑誌』第13巻第1号(1927年1月),73頁。29 たとえば『婦女雑誌』第11巻第11号(1925年11月)の特集号である[我將怎樣做父母親](私は将来、どのように親となるか)で、劉孝伯「門外漢的一點意見」(素人からの意見)と呉祖㐮「理想上應有的條件」(理想とする条件)の中にも子どもに性教育を行うことや子どもの社交にも指導を行うことが述べられた。30 前掲 江上幸子「近代中国の家族および愛・性をめぐる議論」,285頁。31 慧靜「児童教育的儲金」『家庭』第5号(1922年5月),1-2頁。32 同先「我将怎様做父母親:根據家庭和社會所得的經驗」『婦女雑誌』第11巻第11号(1925年11月),1725頁。33 蘇雲峰『中国新教育的萌芽与成长:1860〜1928』,北京大学出版社,2007年,156-197頁を参照。蘇によると、清末には、中央政府および地方政府の50%の教育経費は初等教育にかかる。初等教育の学校数および学生数も各段階の学校全体および学生数全体の90%に占めた。民国期に入ると、清末に築いた初等教育の基礎に基づき、学校数と初等教育の入学人数にはさらに増加してきたと見られる。しかし、民国時代までに、中国全土では、地域によってかなり教育の水準が違ったので、本研究で検討の対象とするのは中流階層の子どもの教育を受けた状況に限定する。34 張朋園,楊翠華,沈松僑,潘光哲,1993年,『任以都先生訪問記録』中央研究院近代史研究所,97頁。35 卞趙如蘭,陳毓賢,榮鴻曾訳,2016年,「素描式的自伝」『在你溫存的笑容中蕩漾:紀念哈佛大學首位華裔女教授趙如蘭』上海音楽学院出版社,13頁。36 前掲 景宋「魯迅先生と海嬰」,4頁。37 前掲 呂舜祥「母親對於子女應負的三種責任」,13頁。38 前掲『任以都先生訪問記録』,100頁。39 前掲「素描式的自伝」,32頁。40 1918年10月に発行された『新青年』第5巻第4号は『戯劇改良専号』であり、新文化運動期の代表的な知識人は、伝統演劇としての京劇を猛烈に批判し、西洋近代劇を基準として伝統演劇を改良しようと議論していた。41 胡適「漫遊的感想(三)」『現代評論』第6巻第145号(1927年8月),15頁。42 「四書五経」は、儒教の経書の中で特に重要される四書と五経の総称である。「四書」とは『論語』、『大学』、『中庸』と『孟子』の4つの書物である。「五経」とは『易経』、『詩経』、『書経』、『礼記』と『春秋』の5つを指す。43 前掲『任以都先生訪問記録』,98頁。44 清朝で社会教育と児童啓蒙のために編纂された教材である。45 林語堂「課兒小記」『宇宙風』第31期(1936年12月),346頁。70早稲田教育評論 第 36 巻第1号

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