注1 本稿で言及する「進歩的な知識人」や「知識人」は、五四新文化運動の影響を受け、西洋から流入した新文化を積極的に受け入れた1920年代の知識人を指している。彼らのほとんどは、欧米での留学経験があり、欧米で唱えられた「民主」、「科学」の新文化により儒教主義的な伝統中国社会を改革しようと主張した。また、本稿で検討する「知識層」も、このような西洋からの新文化を積極的に受け入れた知識人階層を指している。2 伝統中国家族では、一夫多妻制で、家庭内の権力関係は、儒教主義の原則に従った。家庭内では、子は父に従い、妻は夫に従い、年長者を尊ぶ、尊卑の序によって秩序づけられる。3 「賢妻良母」思想は、清末から民国初期にかけて提起された近代的女性像である。女性は家庭にあって、子どもに対しては単なる生活上の躾をするだけでなく、近代国家建設の担い手となる子を産み育て教育する賢母となり、近代社会で活躍する夫を支える近代的教養を備えた良妻となることが求められることである。白水紀子,「中国における『近代家族』の形成─女性の国民化と二重子どもとの間に大きな距離感を生じさせた。そのため、子どもが抑圧され、心身ともに健全に発達できなかったと当時の世論で指摘された。そこで、1920年代の父親は子どもとの触れ合う時間を増やし、体罰ではなく、手本を示して子どもの興味や関心に基づく教育を行うことが提唱された。このような新たな父親像が提起されたのは、近代家族で子どもが独立した個人としてみなされるとともに、親子関係の平等化が提起されたためであると考えられる。1920年代の中国では、近代家族の構築により、親像や親子関係の近代化が見られたほか、家庭教育にも新たな変容が見られた。まず、西洋から流入した児童中心主義の思潮は家庭教育に影響を与え、家庭の中で、子どもの興味や関心に基づき自然に育てるといった「児童化」の教育観が提起された。また、男女の社交がオープンに議論された1920年代は、「性」の是正により性教育の必要性が訴えられる中、家庭教育においても、親は子どもに適切な交際や性教育に関する知識を教えるべきであるとの提唱がなされたのであった。さらに、清末からの初等教育の整備に伴い、家庭の中で、子どもの学歴への期待が一層高まってきた。子どもに中等以上の教育を受けさせるために、子どもの誕生以後に教育費を蓄えることが家計の一環として勧められた。1920年代では、西洋文化を積極的に受け入れる中で、「旧」文化をいかに批判しながら継承していくのかが知識層の直面した課題であった。知識人の家庭では、伝統演劇である京劇や大衆娯楽である麻雀を排除する一方、子どもに中国の古典書を読ませることで民族のアイデンティティを維持させようとしていた様子が多くの知識人家庭で見られる。このような模索は「新」「旧」文化に直面した知識層が次世代への教育の中で行った独自の創造であるといえるだろう。本稿は新文化運動期を経た1920年代の中国において、「科学」、「民主」および女性解放の風潮により、近代家族における子育てにはどのような新たな展開が見られるか考察を行った。しかし、本稿での検討は知識人家庭に限られているので、当時の世論で高まってきた家庭改造の議論が一般民衆にいかに影響を与えたのかはまだ解明されていない。また、「女は家に帰れ(婦女回家)」論争が強まってきた1930年代において、女性の家庭的役割が再び強調され、家庭における夫婦間の役割分担や子育てにはいかなる新たな展開が見られるのかという点について引き続き検討する必要がある。68早稲田教育評論 第 36 巻第1号
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