早稲田教育評論 第36号第1号
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て、中国人として必ず読むべき古典書であると私たちに教えてくれた43。任が述べたように、新文化運動期の知識人において、次世代に中国の古典書を読ませ中国文化を学習させることは稀ではなかった。林語堂「課兒小記」(子どもを教育する記録)の中でも、子どもに中国の古典書を読ませることについて述べている。私は時代遅れなものだ!彼女たちに(筆者注:子ども)に「五種遺規」44を読ませることだ。その中では、例えば程畏斋『読書分年日程』、白居易『燕詩示劉叟』、陸放翁『過林鳥中食柑子有感』、朱子『治家格言』、呂新吾『好人歌』は分かりやすく、読むと親切になると感じている。人としての道理も読むと分かる。さらに、『教女遺規』も教えた。(後略)45京劇や麻雀といった伝統文化の拒否と古典書の受容は、知識人の中では、大衆娯楽である京劇や麻雀をサブカルチャーと見なし、国の進歩に阻害があると考えていた。それに対して、旧文化で生まれ育てられ、古典書を読みながら中国人としてのアイデンティティが形成された彼らにとって、中国の古典書を読むことは、西洋文化に対する全般的な受容の中で、中国人のアイデンティティを維持させるための方法でもあった。そこで、家庭教育の領域には、伝統中国の大衆娯楽に拒否を示す一方で、子どもに古典書を読ませることで中国人としてのアイデンティティを維持させるといった伝統文化の断絶と継承の二つの面が伺える。このような家庭教育の中で、伝統文化を批判しながら次世代へ継承させることは、「新」と「旧」の両文化に直面していた1920年代の知識層が行った独自の模索ともいえよう。1920年代の中国では、「民主」、「科学」を唱えた新文化運動の影響と、中国型近代家族の形成により、家庭教育の内容に新たな展開が見られた。まず、新文化運動期に唱えられた男女平等と女性解放の思潮により、1920年代の中国では、女性の社会進出が一層進んできた。しかし、女性の社会的役割が強調されただけではなく、家庭における役割も依然として強調されていたことが既存の研究から伺える。近代家族の中で、理想的な母親は、近代学校教育を受け、科学的に育児を行っていた。また、近代の家庭の女性は家事や子育てを自ら担うべきであると当時の知識層は主張した。しかし、現実的には、有職女性が他人の手を借りることなく、仕事と家庭の二つの責任を自ら担うことは極めて困難であったため、より経済的に豊かな家庭では、使用人を雇うことで家事や子どもの日常生活の世話を分担することが一般的であった。使用人の雇用について、1920年代の近代家族に見られる特徴は、使用人の仕事範囲が家事の分担や子どもの日常生活の世話まで関わることが多いことである。つまり、伝統中国では子どもが使用人の手で育てられることがしばしば見られたが、近代家族では、子どものしつけや教育の責任は母親、あるいは夫婦双方が担っていたという点である。また、1920年代の中国で唱えられた父親像は「厳父」への批判から始まったといえる。伝統中国で特徴とされた「厳父」という父親像は、子どもに体罰することで子どもの恐怖心を起こし、1920年代中国における近代家族の形成に関する一考察─知識人家庭における子育ての理想像とリアリティをめぐって─67終わりに

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