生和海嬰」(魯迅先生と海嬰)の中で、子どもが生まれてから使用人を雇い、彼らが家事や子どもの面倒を助けてくれると述べている36。これらを踏まえれば、1920年代の中国では、知識人女性は仕事と家庭の両立を実現するために、メディアが唱えるように「他人の手を借りることなく自力で育児や家事を行う」37ことの実践は極めて困難であった。使用人を雇うことで家事や一部の育児責任を分担していたことが中国型近代家族のリアリティであるといえる。しかしながら、民国期では、その以前の時期と比べ、使用人の役割は主に家事の補助と子どもの日常生活の補助である。伝統中国家族でよく見られた子どもを使用人に任せて育てることで、使用人の役割が子どもの養育にまで及ぶことと比べ、民国時代には、しつけや子どもの教育責任は親が担うことが知識層の中で受容された。新文化運動期に活躍していた知識人の家庭では、西洋から流入した新思想を積極的に受容する一方、伝統文化をいかに扱うのかが家庭教育の中で大切な課題として捉えられていた。当時の知識人の回想録やインタビュー記録の分析から、「新」「旧」文化に直面した新文化運動期の知識層は、次世代への教育を行うときに、旧文化との断絶と継承の間で、独自の模索を行ったと考えられる。伝統文化の断絶について、任以都のインタビュー記録によると、彼女の両親は当時の民衆が楽しんでいた麻雀や京劇を時代遅れのものとみなし、家では京劇や麻雀を絶対にしなかったと述べた38。また、卞趙茹蘭は自伝の中にも子ども時代は京劇を聞く機会があまりなかったと言及している39。知識人家庭での京劇の拒否は、新文化運動期で広げられた「戯劇改良論争」40から伺える。一部の知識人は、京劇を時代遅れのものと考え、中国近代化の阻害の要因の一つとして強く批判した。また、麻雀への批判について、たとえば新文化運動期の代表的な知識人である胡適は『麻将』(麻雀)で、麻雀をアヘン、八股、纏足に次ぐ中国4つ目の害だと指摘し、麻雀をすることは時間の無駄とされ、「世界中を周り、進歩した民族、文明的な国はこのような無駄なことをしているだろうか」41と麻雀が中国の民衆を享楽主義に陥れてしまい、国の進歩に阻害があると批判した。しかしながら、麻雀や京劇といった伝統文化へ強く拒否を示した知識層は、家庭教育において、子どもに中国の古典書を読ませることで民族アイデンティティを維持させていたという伝統文化の扱い方に対する矛盾した観点も伺える。たとえば任以都はインタビュー記録の中で以下のように述べる。父は生涯に渡って科学教育を提唱し、民国以来の「読経」運動を強く批判した。しかし、家では、「四書五経」42を私たちに読ませていた。彼は「中国人であるので、『四書五経』を読まないと、本当の中国人とは言えない!」と私たちに言った。(中略)彼は「読経」課程が学校教育に入るのは公に批判した一方、家では自分の子どもたちに「四書五経」を読ませ66早稲田教育評論 第 36 巻第1号(2)伝統文化の断絶と継承の中を模索していた知識層
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