早稲田教育評論 第36号第1号
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教育の提起、③子どもの教育を受ける機会の確保という三つの側面から、1920年代の中国における知識人による家庭教育の改良を考察する。児童中心主義の受容により、1920年代の中国では、家庭教育の中心は「児童化」である、と知識層は唱えた。たとえば東岑は「論家庭教育的改革」24(家庭教育の改革を論ずる)の中で、伝統中国の家庭教育は、「大人中心主義に偏重すること」、「消極的な懲罰ばかりで、積極的な訓育を行わなかったこと」、「子どもの活動を抑圧すること」、「子どもの環境を軽視すること」であると指摘し、従来の教育は子どもの発展を抑圧し、子どもが健全に発展することができなかったと指摘した。そこで、従来の教育方法に代わり、「新しい家庭教育」を行うべきであると唱えたのである。この新しい家庭教育という考えを、東岑は「児童化」という言葉で表現した。児童化とは、「子どもを主体として、彼らの生まれながらの個性や必要性に従い、その興味を引き出すようにすること」25である。東岑が唱えた児童化は、当時、欧米から流入した児童中心主義を家庭内に受容させることを意味していた。子どもをいかに児童化するのかについて、当時の知識層は具体的な家庭教育の方法を提示した。陳品娟「児童教育:母親的責任」(児童教育:母親の責任)の中では、子どもを教育する方法を①「暗示」、②「誘導」、③「遊戯」、④「訓誨」という4つの方法にまとめている。①は、子どもは生まれながら模倣するため、母親は自分の言動に十分に注意し、子どもに手本を示すべきだという意味である。また、②は、子どもの興味や関心に基づき、子どもの才能を発揮させることである。③については、子どもの遊びに十分に関心を持ち、遊びを干渉するのではなく、母親は見守り役に徹するべきであると強調している。④については、子どもを叱ること、体罰することではなく、柔くてしっかりとした子どもを訓育するべきであるという26。陳が唱えた家庭教育の方法には、子どもの個性を尊重しながら彼らの興味や関心に基づく教育を行うべきとする子ども本位の考え方を読み取れる。近代家族の形成により、子どもが発見され、それに伴い、子どもの生まれながらの個性に従い教育することという子ども観の近代化は知識人家庭に受容されるようになってきたと見なすことができる。1920年代に高まってきた女性解放の風潮の影響により、女性にも恋愛や婚姻の自由が提起され、それに伴い、男女の交際はオープンに語られるようになる27。そのような社会風潮を受けて、家庭教育の中でも、親は子どもの交際を適宜指導すべきであると提起された。『婦女雑誌』第13巻第1号「小家庭的主婦」(小家庭の主婦)特集号の中で、洪競芳「小家庭的主婦:我的意見如此」(小家庭の主婦:私の意見)は、主婦は成年となった子女に対し、「正しい交際の仕方を教え、性知識を教えることが必要である。異性との適切な付き合い方を教えることが必要である。母親は子どもの結婚相手の徳、智、体を明らかにすることが必要であり、配偶者として適当であるかどうかを判断すべきである。子どもがいい家庭を築くことができるまで、母親としての責任は終わらない」28と主張した。1920年代中国における近代家族の形成に関する一考察─知識人家庭における子育ての理想像とリアリティをめぐって─63(1)家庭教育における「児童化」の提起(2)家庭における子どもに対する性教育の提起

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