60うな女性は、日常生活上欠かせない手紙の往来や記事を書くこと、家計を管理することにも余裕をもっているのだ10。楊の言説から見ると、1920年代の中国では、近代学校教育を受けた女性は家計の管理に有利であると考えられる一方、子どもの教育にも有利であると考えられており、理想的な結婚相手としてみなされていたことが分かる。楊の女性観は1920年代の中国知識人の中で代表的なものだと思われる11。新文化運動の影響により、伝統中国の儒教主義的な女性観は批判を受け、その代わりに、科学的な知識を持ち、家庭や国家建設のために貢献ができる近代的な女性観が1920年代の知識層の中で現れたのである。そこで、近代学校教育を受けた女性は家庭管理や育児に大きな役割を果たし、近代家族の構築に有利であると知識人から提唱されたと見受けられる。また、民国期には、上述のように近代学校教育を受けた女性により科学的に育児することが提唱されるようになる。陳品娟「児童教育:母親的責任」12(児童教育:母親の責任)の中では、母親は子どもをいかに科学的に養育するのが適当かという点について具体的に提示されている。まず「衣」については、子どもの体温は成人より高いので、服を厚く着せるのは科学的ではなく、母親は、子どもの体温を考えながら、適当な服を着せるのが一番であるという。また、「食」については、子どもに栄養豊富かつ消化しやすい食べ物を食べさせたほうが良いという。また、「住」については、光が充足なところを選ぶこと、暇なときや週末には、子どもを連れ自然と触れ合うことを推奨すると述べている。陳の言説から見ると、1920年代の中国では、育児の責任は依然として女性に求められ、子どもの養育について、「科学」ということを知識人は強調したと見られる。科学的な育児法の強調については、1920年代の中国では、西洋で唱えられた育児方法をさらに受容し、近代学校教育を受け科学的に育児ができる女性によって子育てすることが一番理想的である、と知識人は強く提唱した。1920年代の中国では、女性の家庭的役割について、伝統中国でよく見られた子育てを保母や乳母に任せる育児形態への強い批判から、近代家族では、母親は必ず自ら育児をすることが知識層によって唱えられた。『婦女雑誌』第12巻第6号には、呂舜祥「母親對於子女應負的三種責任」(母親が負うべき三つの責任)が掲載されている。そこでは、育児は母親の天職と捉えられ、「特別な事情を除き、母親は自ら子どもを養育すること」13と述べている。この文章では、母親の子女に対する責任を①「自ら母乳を与えること」、②「子どもと一緒に寝ること」、③「自分で子どもを介護すること」の3点にまとめている。①については、「哺乳は婦女の天職であり、かつ母親としての義務でもある」という。②については、子どもは使用人と一緒に寝ると、衛生面に悪い影響を与える恐れがあるので、母親は子女と一緒に寝ることで、子早稲田教育評論 第 36 巻第1号(2)育児の責任を自ら担うべきである母親
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