早稲田教育評論 第36号第1号
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妻良母」3思想が批判され、女性は独立した個人と見なされることで、女性の経済的独立が強調された。女性の社会進出が進んだ1920年代の近代家族では、女性に家庭と社会という二重役割への要請により、家庭における子育ての役割分担はいかに変化してきたのであろうか。また、伝統文化と西洋文化の対立が著しかった1920年代の中国において、家庭教育において、「新」文化と「旧」文化がどのようにせめぎあったのであろうか。そこで、本稿では、1920年代に発行された『婦女雑誌』4に掲載された育児や家庭教育に関する論説を中心に分析を行い、知識層が提起した理想的な親像と家庭教育像を考察する。また、当時の主流雑誌や知識層および彼らの子女が書いた回想録、自伝、インタビュー記録に基づきながら1920年代中国の知識人家庭5の子育てのリアリティを解明することを試みる。第1節では、1920年代中国で唱えられた近代的家族像、近代家族における女性の二重役割と近代中国で行われた家庭教育の改良という3つの側面から先行研究を検討する。1920年代の中国で提起された近代的家族像について、江上幸子6は、1920年代の中国で唱えられた主流的な近代家族像は「小家庭」であると指摘した。「小家庭」は、恋愛によって結婚する一夫一婦と未婚の子どもから構成されるものである。このような「小家庭」では、貞操観念について、男女平等を求め、女性にも離婚・再婚の自由が認められていた。また、家族成員はみな平等とし、夫婦は育児や養老を共同で負担していた。また、女性は男性の私有物ではなく、妻は夫に依存するのではなく自立すべきであり、経済的自立も必要とされていたという。江上は「小家庭」では、家庭成員の平等化が重視されることを指摘しているが、白水紀子7は、このような「小家庭」の中で、一見、男女平等を達成したかに見えるが、実は女性を私的領域に取り込み、女性にのみ「社会参加も家庭役割も」というダブル・バインド的な選択を迫ることで、近代家族それ自体が性支配を隠蔽するシステムを内在化していると近代家族において女性が二重の役割を負うことを指摘している。以上の先行研究から、1920年代の中国では、理想的な家庭像は夫婦双方が平等に家庭責任を担うという小家庭制であると見られるが、このような小家庭の中で、女性の経済的自立が強調されることにより、女性にのみ二重役割が求められたと確認できる。しかし、先行研究で多く指摘された二重役割を負う1920年代の女性が、仕事と家庭のバランスを取るために、どのような困難に直面していたのか、そして、いかにそれを解決したのかがまだ言及されていない。一方、家庭改良に伴い、家庭教育の改良も近代中国で提起された。楊妍8は、1910年から1915年の『婦女雑誌』に掲載された家庭教育関連記事を中心に、民国初期の知識層が唱えた理想的な家庭教育像を分析した。民国初期では、日本を経由した欧米のモンテッソーリ教育方法が家庭教育の中で重要な役割を果たし、家庭教育の内容について、「徳育」(道徳教育)と「智育」(智能教育)が家庭の中で特に重要視され、「徳育」については、儒教思想に基づく子どもの行動支配という点が1910年代後半の中国においても存在していたことを指摘している。また、子どもの養育について、科学的知識に基づく、健康優先の原則や子どもの成長に相応しい生活環境を保障す58早稲田教育評論 第 36 巻第1号1.先行研究

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