早稲田教育評論 第36号第1号
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 仮寧令10官人遠任条30以上のように南西諸島は、律令国家の版図とされた多褹嶋の領域(種子島、屋久島、口永良部島などからなる大隅諸島)と、その南側(奄美群島以南)の依然として「化外」として扱われ続けた地域に分けられたと考えられる41。前章でみたように古代国家は、列島の東北部・西部・南部に「辺境」を抱えた。本章ではこれらが奈良時代にどのように位置づけられ、支配されたか検討する。701年に成立した大宝令の下での「辺境」の位置づけについて考える上で重要なのが、『令集解』に引かれる大宝令の注釈書である古記(738年成立)の記述である。古記において「辺境」とされる地域などについて述べられているのは、次の通りである。 養老賦役令10辺遠国条凡辺遠国、有二夷人雑類一之所。応レ輸二調役一者、随レ事斟量、不三必同二之華夏一。集解古記夷人雑類謂二毛人。肥人。阿麻弥人等類一。問。夷人雑類一歟。二歟。答。本一末二。仮令。隼人。毛人。本土謂二之夷人一也。此等雑二居華夏一。謂二之雑類一也。 関市令06弓箭条凡弓箭兵器、並不レ得下与二諸蕃一市易。其東辺北辺、不レ得レ置二鉄冶一。集解古記古記云。東辺北辺。謂二陸奥出羽等国一也。凡官人、遠任及公私、父母喪応二解官一、無二人告一者、聴下家人経二所在官司一。陳牒告追上。若奉レ勅出レ使、及任居二辺要一者、申レ官処分。集解古記古記云、及任居二辺要一。謂伊伎対島陸奥出羽是。ここにみえるように、「辺境」の法的位置づけである「辺要」として古記にみえるのは、陸奥、出羽、壱岐、対馬のみである。しかし、正史や格式には他にも辺要として挙げられる地域も存在する。そのことも踏まえて、以下で地域ごとに検討していきたい42。養老職員令70大国条には、次のような規定がある。其陸奥出羽越後等国兼知二饗給・征討・斥候一。壱岐対馬日向薩摩大隅等国、總知二鎮捍・防守及蕃客帰化一。陸奥・出羽・越後で「饗給・征討・斥候」を行うことになっているのは、これらが蝦夷の地だからである。蝦夷に対しては偵察を行い、「饗給」によって懐柔する一方で「征討」もするという政策がとられた。ここには越後が含まれているが、関市令06弓箭条や仮寧令10官人遠任条の古早稲田教育評論 第 36 巻第1号3.奈良時代の「辺境」支配3-1 大宝令段階の「辺境」の法的位置づけ3-2 越後

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