早稲田教育評論 第36号第1号
28/258

22事実に即してみれば、「日本」や「日本人」が問題になりうるのは、列島西部、現在の近畿から北九州にいたる地域を基盤に列島に確立されつつあった本格的な国家が、国号を「日本」と定めた七世紀末以降のことである。それ以後、日本ははじめて歴史的な実在になるのであり、それ以前には「日本」も「日本人」も、存在していないのである。そのことをまず明確にしておかなくてはならない1。すなわち、「日本史」というものについて、原始から現代の日本国に至るまで連綿と続いてきた国家の歴史として語ることへの違和感が表明され、だからこそ本書の題名も『日本の歴史』ではなく『日本社会の歴史』としているのだろう。ここで述べられているように、ヤマト政権の時代と7世紀後半に成立した「日本」では国家体制に質的な差があるが、そこを連続的に捉えてしまうと、ヤマト政権下にも「日本」と同じように領域を支配する国家があったかのような誤解を生んでしまう。また吉田孝は、『日本の誕生』(岩波新書)の終章「ヤマトと『日本』」の中で、「『日本史』とは何か」という問題について、次のように述べる。現在の日本史の概説書や教科書は、ヤマトとしての日本の歴史に、琉球とアイヌの歴史を加えて叙述される。それは、大八州を舞台とした近代以前の日本(ヤマト)の歴史とも違い、台湾・サハリン(樺太)そして朝鮮をも支配下においた近代の大日本帝国の歴史とも異なる。一九四五年以後の日本の歴史である。そのような日本の歴史が、一般に受け入れられているのは、もちろん現在の日本国の領域に展開した歴史であるという、国民国家の歴史書であるからだ(後略)  (中略)現在の日本史概説が、大きな抵抗なく受け入れられる背景には、ヤマト(日本)の国制の領域がそのまま現在の国民国家「日本」の中心部分(かつ大部分)を占めていることが、大きく作用していると思われる。  (中略)「日本」の領域が現在とは違ってくる可能性は現実に存在していたのである2。ここでは、現代の「日本史」が扱う地域について、ヤマトに琉球とアイヌを加えたものになっていることを自明視すべきではないことを述べている。これはヤマトの北方や南方の地域について、現在の日本の国境の範囲内にあるということをもって、「日本史」の枠組みの中にヤマトへの付け足しのような形で位置づけることについての違和感が表明されているといえるだろう。網野や吉田の指摘を踏まえると、時間軸によって国家のあり方が変化することと、空間軸によって国家の支配にグラデーションがあることの両方を顧慮した立体的な理解が、歴史上の国家領域について考える際には求められると考えられる。翻って、歴史教科書の記述はどうだろうか。豪族の連合政権であった時代の倭国について、国家としての一体性を前提とした記述になってしまってはいまいか。村井章介はある著名な日本古代史研究者の文章について、「出てくる国家(唐・朝鮮三国・日本)が統一的意思をもつ人格であるかのように表現されている」と疑問を呈し、地域設定のあり方について「客観的認識というよりは『現代』の『日本国』で生きていると早稲田教育評論 第 36 巻第1号

元のページ  ../index.html#28

このブックを見る