一方、体育科専任教員体制の確立が進まなかった第四中学校では、時間講師を採用することで体育科担当教員不足に対応していた。その時間講師は1951年度までは教員免許状を所持しない体育専攻の学生であったが、1952年度以降は中学校保健体育科の教員免許状を有する都立定時制高校の教諭が担った。大学や高等学校の数が多い上に交通の便も良く、時間講師を委嘱しやすい都市部である東京都の地理的特性が背景にあったための対応と考えることができる。そして、このような戦後の新制中学校創設期における体育科を中心とした教員の充足状況について、以下のような分析結果が出ている。(1)荒川区では、早くに体育科専任教員体制を確立した中学校が存在した。例えば、第三中学校では1952年度には他教科と兼任しない体育科専任教員体制が確立していた。(2)体育科担当教員の不足状況に対して各中学校は、他教科との兼任や時間講師の委嘱によって対応した。体育科教員の不足状況には、国語科・社会科・職業科・理科など他教科の若い教員が兼任することによって対応していた。また、第四中学校では時間講師を嘱任して対応していた。(3)中学校保健体育科の免許状を有する教員が担当する体制が早くに整えられた。1953年度の段階で、各学校の体育科専任教員のほとんどは中学校保健体育科の二級免許状を所持していた。以上の分析により、東京都荒川区の新制中学校では中学校保健体育科の教員免許状を所持する教員が体育科を担当する体制が早くに整えられていたことは注目に値する。また、荒川区における新制中学校創設期においては、体育科の教員に関しては学校によってその充足状況が大きく異なっていたことがわかった。充足できない場合は時間講師として採用するなどの対応策を取らなければならなかったこともわかった。さらに、もともと地方に比べて大学等が数多く存在するという東京都の地理的特性が、体育科の専任教員の招致に有利に働いた可能性があることも指摘できる。本研究では、荒川区についての資料を元にテーマごとに詳細な研究をすることができた。荒川区以外の小田原市、愛知県、千葉県といった地域においても同様に、多くの資料を見ることができ、それらをもとに、実態面に着目して分析することができた。そして、資料をもとに分析した各地域に共通して述べることができるのは、各地域において、新制中学校設置のために多大な労力が払われたこと、さらに、それは中学校に通う生徒や教員だけでなく、保護者を含めた地域の住民にとっても深刻な問題であったことである。また、教員に関しても、その充足が間に合っていない場合もあり、設備・教員面において新制中学校は多大な対応しなければならなかったことがわかった。本報告では、新制中学校の制度的理念が各地域においてどのように実現されようとしたのか、荒川区を事例として、その一端を実証的に究明した。以下、本報告で取り扱った内容について確231おわりに
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