度・教育内容等)がとられ、どこまで実現されたのか、また残された課題は何かを、地域資料により実証的に明らかにするものである。その研究意義として以下の2つを挙げる。第一に中学校の制度的理念を実現するために、どのような教育の諸原理が形成されたかを検討し、戦後民主教育の原点を地域に根差した形で明らかにすることにある。これにより、現在の中学校の教育の在り方を再検討する素材を提供することになる。第二の意義は、新制中学校は地域に密着して教育が展開され、地域的な教育課題を内包しつつ成立・展開することになるが、どのような議論を経たのか、また敗戦後の混乱に伴う困難をどのように克服して理念が実現されたのかを明らかにすることにある。これにより、格差社会と学校教育の関わりという今日的課題の解決につながる新たな知見が得られることが期待される。さて、本研究の先行研究としては赤塚康雄『新制中学校成立史研究■2や『新制中学の誕生 昭和のなにわ学校物語』3や三羽光彦『六・三・三制の成立』4といったものが挙げられる。これらの先行研究では、新制中学校の成立経緯について分析されているが、上記の研究以外は少数のものである。また、赤塚の研究は主に関西地方を中心に実態を分析したものであり、それ以外の地域の新制中学校の成立経緯について体系的に分析した研究は管見の限りでは見ることができない。『沼津市史』などで新制中学校の成立などが扱われているが、地方沿革史という性格上、体系性という点では乏しいと言わざるを得ない。先行研究から分かるように、新制中学校の研究が少なく、地域が限定されており、東京都をはじめ他の地域が未開拓であると言える。そこで、今回の調査地域としては、未開拓である東京都、千葉県、神奈川県・愛知県を対象とし、方法としては行政の文書や各地域の中学校、史料館・図書館などでの調査を実施した。新制中学校は戦後に誕生した、新しい学校であった。このため、戦後の文部省が、新制中学校や新学制度において言及し、解説した「手引書」が多数存在する。本研究では、まず、これらの手引書を分析し、文部省が考える新制中学校のあるべき姿や、文部省からみた戦後教育改革期における新制中学校の実状と課題などの把握に努めた。まず、1947年に文部省学校教育局からの通牒「新学校制度実施準備に関する件」をまとめて作成された手引書として『新学校制度実施準備の案内』5が存在する。『新学校制度実施準備の案内』は「第一、新学制実施準備協議会の設置について」、「第二、昭和二十二年度における生徒の進学について」「第三、学校制度改革(六・三・三制)」、「第四、新学校制度(六・三・三制)を実施するに当たり、昭和二十二年度に現在制度の学校に対して取られるべき措置」 という4つの部分から構成されている。同書の「第三、学校制度改革(六・三・三制)」を見ると「六・三・三制」の意義に関して「最も重要な点は、すべての者に対して一様に小学校と中学校とを通して九年間の教育を行うというものである」6と述べられている。戦前の教育制度が教育の不均等をもたらしていたことに言及した上で「六・三・三制」については教育の機会均等を目的としていたことが窺える。また、戦後の教育機関における大きな変更点である男女共学に関しては、文部省が男女共学に2202.文部省の「手引書」の検討
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