では文部科学省による国際化を推進する政策(2011, 2014)や「副産物」(Taguchi, 2014, p. 89)への期待といった後押しもあってか、EMIを実施する高等教育機関が増加している(Ota, 2018)。従来は教室での実施が暗に前提となっていた授業であるが、その実施形態が当然のものではなくなり、「授業」が対面かオンラインという関係で対置されるようになって久しい。一部ではオンライン授業における学生の満足度の調査(早稲田大学大学総合研究センター,2021)から一見好ましい変化も伺えるが、一方で教員がオンライン授業への対応により大きな負担となっていることが報告されているのも事実である(Van Compernolle & Leontjev, 2020)。しかし、一般的なオンライン授業の功罪について議論することは本論の射程を大きく逸脱しているため、今後の研究が俟たれる。ここで留意せねばならないのは、如何なる結果であれ、従来の対面式の授業とは前提が大きく異なるため、今後の知見を積み重ねていく上でも先行研究を今まで以上に批判的に吟味していく必要性が顕在化したということである。つまり、ただでさえ政治的な言説を孕んでいるEMI(Mori, 2015)であるが故に、オンライン授業と無批判に折衷して議論するような姿勢は厳に慎まなければならず、教育機会における格差の助長といったEMIが将来的にもたらしかねない「負の産物」も総合的に考慮した上で各利害関係者の立場から慎重に検討していくことが求められる(e.g., Kedzierski, 2016; Piller & Cho, 2013)。事実、本論が対象とするEAPやEMIの2020年度以前の先行研究はその殆どが対面式を前提としている。これは本研究文脈の早稲田大学のみならず、国内大学に対象を拡げても同様の傾向が伺える。国内大学のEAP事例をまとめている一般社団法人大学英語教育学会EAP調査研究特別委員会(2018)の報告書を例に挙げても、「オンライン」という言葉自体が海外との交流や自習教材の文脈でしか用いられておらず、意識的に「対面」という言葉を授業に付している例は皆無である。これは転じて、EAP/EMIを論じるにおいて対面かオンラインかという授業形態の差が新たな要因として関与し得ることを意味し、このことは更に2016年にカリキュラム変更を伴った教育学部英語英文学科でも同様の状況に直面する。当該学科は「『英語の学習』から『英語の研究』へとスムーズに移行できるようにカリキュラムを構成」(早稲田大学教育学部英語英文学科,n.d.)とあるように、学科レベルでEMIを導入しており、日本語での学修と並行して1年次に導入されるEAPで学問に必要となる基礎を養い、後年のEMIで専門分野の研究を深めるという形をとっている。このカリキュラム変更の経緯に関しては学科全体ではHarada(2017)、EAP科目の設立経緯ではOrii and Wake(2018)、変更後の文脈では松村(2020)がそれぞれ詳しいため詳細はそちらを参照されたい。カリキュラム変更からの数年間で、本学科ではEAP/EMIといった授業種、学生・教員といった立場、言語能力・心理的側面・社会的な使用実態といった研究へのアプローチを問わず多様な観点から知見が積み重ねられてきた。各観点の研究の詳細は守屋・松村(2021)に詳しいが、そのどれもが対面式EMIを受講したことによる英語力への効果(e.g., Suzuki et al., 2017; Uchihara & Harada, 2018)や対面式EAP/EMIでのプレゼンテーションや学生同士のインタラクションに不安を抱える学生の認識(e.g., Kudo et al., 2017; 松村,2020)などとなっている。勿論、これらの知見全てが無駄になるという訳では決してなく、EAP/EMIが用語としては従来と同一であるものの、対面かオンラインかという授業形態の差はその含意する文脈が少なからず異なるため、各166
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