早稲田教育評論 第36号第1号
164/258

その他無職漬物問屋菓子販売ネクタイ販売古本屋置屋汽缶技師すし職人大工木工所経営商店員印房工員ビニール玩具製造靴商靴工内職労務者洋服修理加工装身具製造保護者の職業1957年度4人6人米屋(住み込み先)1人置屋(住み込み先)1人装身具製造1人会社員1人洋服加工1人女工1人塗装業2人鳥飼育1人ネクタイ販売1人画劇経営1人家具職1人製靴3人内職1人玩具製造1人無職2人結束2人美容院(住み込み先)2人プレス工1人日雇人夫1人大工 人数保護者の職業1958年度女店員木工業(住み込み先)置屋(住み込み先)会社員1人洋服加工1人女工1人鍍金業(住み込み先)1人紙工品製造2人酒販売2人ネームプレート業1人ネクタイ販売1人椅子製造業1人画劇経営1人家具職1人内職2人機械工3人プレス業1人教員6人無職1人飲食店1人結束1人日雇人夫2人大工6人自転車修理業人数保護者の職業1人1人1人4人1人5人1人1人1人1人1人1人1人2人1人1人1人1人5人2人1人1人4人1人人数1959年度件の下で働いていたことを表しているといえる。また、住み込みでほんのわずかな収入しかもらえていなかった生徒がいたことも確認できる。ある程度収入が高かった19歳の男子生徒、23歳の女子生徒は年齢が関係していると考えられる。昼間働いてから登校していた彼等について専任教諭だった綾部一好が次のように回想している52。 鉛筆工場やその他の職場で、一日中働いてからくたくたになって彼等は登校してきた。給食を食べながらも、授業のあい間も、放課後も、生活のにおいを体から発散させている彼等とよく話した。話しているうち、私も彼らと同年齢に錯覚してしまったのも、そういえば思い出す。昼間は働き、夕方は就学する夜間中学生のライフスタイルがいかに苦労と努力に満ちていたものだったか、容易に想像できる。学校の教員一人ひとりが一生懸命に生活していた彼等の心の支えになっていたと言っても過言ではない。158表11 保護者の職業(1957年度~1959年度)

元のページ  ../index.html#164

このブックを見る