がわかる。夜間学級の設置目的は、区内の長期欠席生徒の就学奨励にあり、東京都教育委員会の「設置届書受理通知」にも「就学すべき者はあくまで荒川区居住の者に限ること」とされている49が、一部の生徒は他地域から通学していたことがわかる。その内容は、就労のため、他地域から荒川区に住居を移した者(住み込みなど)もおり、多様であった。他地域からの生徒は、1957年度は3名、1958年度は4名、1959年度は10名となっており、区外在住の生徒が年々増えていることがわかる。表11の保護者の職業をみると、工員が一番多く、単純労働や販売などが多くみられる。低収入の職業に就いている保護者や職業に就いていない保護者も一定数いることが確認でき、夜間中学校の生徒の収入が一家の生計を立てるのに大きな力となっていたことがわかる。生徒の収入については、1958年度の「学校要覧」にて次のように記している50。「生徒の収入は、年令の差が大きいので、その差も大きく、日給170円ぐらいから300円ぐらいまでが多く住込みで最低月額1,500円程度。」1961年度の「学校要覧」では、生徒の職種や賃金についてより詳しい情報が載っているため、表12でそれらをまとめておく51。生徒の職種や収入をみても、物品の製造、加工が多く、低収入の生徒が多かったことがわかる。殆どの生徒の月給が5,000円以下となっている。これらは、夜間中学生が零細企業で悪い条1957年度住んでいる地域尾久町日暮里南千住埼玉県三河島町屋足立区千葉県人数20人2人1人10人1人1人1人1人1人住んでいる地域1571959年度人数16人1人1人10人1人1人1人2人2人1人2人1人1人尾久町南千住埼玉県三河島北区千葉県日暮里葛飾区町屋台東区板橋区練馬区千代田区6)保護者の職業7)生徒の職業および賃金表10 生徒の住居地域(1957年度~1959年度)1958年度人数17人4人1人1人9人2人1人1人住んでいる地域尾久町南千住埼玉県三河島北区千葉県日暮里足立区町屋
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