早稲田教育評論 第36号第1号
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154年度1956年度3学期学期5人1年2年7人0人3年合計12人年度1958年度(7月1日現在)1959年度(7月1日現在)1960年度(9月7日現在)1961年度(6月20日現在)学年男子女子計1学年4人3人7人4人3人7人3人7人10人3人5人8人2学年8人8人16人7人3人10人6人7人13人8人6人15人3学年5人10人15人8人16人24人17人7人24人14人13人28人17人21人38人19人22人41人26人21人47人25人24人49人滝戸教諭の回想からも、安全指導や、給食時の工夫など、また、定時制高校や他県の夜間中学校との交流などを実施していたことが明らかとなる。以上のように、多方面にわたって生徒指導がなされ、社会性の育成にも力を入れていたことがわかる。表6のように、開設した1956年度3学期は生徒数12名だったのが、1957年度1学期には22名となっており、3学期には2倍近くまで増えている。1958年度から1961年度までの傾向をみると、毎年度少しずつ生徒数が増加していることがわかる。どの年度も学年が上がるにつれて生徒数が増えている。1958年度〜1959年度は女子生徒が若干名多いが、1960年度〜1961年度は男子生徒の方が多い人数となっている。長期欠席生徒は女子の方が多い傾向があった45が、荒川九中の初期の段階では女子が多いという傾向はみられない。他の夜間学級の学級数と生徒数と比較すると、九中夜間学級は規模が小さかった。1958年2月の時点で、墨田区立曳船中学校は3学級の生徒数148名、大田区立糀谷中学校は4学級の生徒数142名、■飾区双葉中学校は3学級の生徒数111名、足立区立第四中学校は5学級の生徒数205名となっており46、これらの夜間中学校は九中夜間部の3〜5倍生徒数が多かったことがわかる。表7の通り、14歳の生徒がもっとも多い傾向があり、学齢期の生徒が半数を超えている。学齢を超過した者は、1957年度は36人中12人、1958年度は38人中9人、1959年度は41人中14人、1961年度は49人中12人となっている。男子女子計計計計男子女子2-3 数字でみる実態441)学級編成及び生徒数2)生徒の年齢表6 学級編成及び生徒数(1956年度~1961年度)1957年度2学期2人12人14人28人1学期9人6人7人22人3学期14人15人13人42人男子女子

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