また、それまでの簡単な給食から、古谷栄養士さんたちによって本格的な給食が始まったのもこの頃だったと思います。さらに、皆で何かをやろうと合言葉に、放課後は全員職員室に集合して、ラジオ体操をしたり、心を一つに声を揃えてコーラス(斉唱)に熱中したものでした。その他、定時制高校との交流会や修学旅行で京都の夜間中学校との交流会にもはり切って参加していたようです。 先生の方も、少しでも生徒たちのためにと、交代でその時々のことを話題として音楽をバックに流してディスクジョッキーを構成して、給食の時間に聞かせました。先生方のしゃべり方の持ち味も手伝って、なかなかの好評で、給食に遅刻する者がめっきり減少したというオマケがついたこともほほえましい思い出です。事件といい、夜間学級生が直面していた社会問題ともいえるが、そのたびに、生活指導に重点をおいた学級経営が続いている。1959年2月3日より東京都の夜間中学校で完全給食が始まるが、荒川九中夜間部は最初の実施校となっている。それまではコッペパンの簡単な給食だった。この日からおかずが出されており、「生徒が毎晩おかずの名前を聞くので、教師たちも勉強に大わらわで、古い教師は、今でも、「鯨のタツタ揚げ」という名前を覚えている」という記録が残っている42。1958年・1959年に専任教諭だった滝戸宏がこの時期のことを次のように回顧している43。 その頃は、附近に「通り魔事件」が発生して生徒・先生共々に身の安全を守るために懸命に対処したことが、まず、思い出されます。152年 月 日1957年2月15日4月1日6日9日3日4日6月7月9月10月11月12月1958年2月3月26日4日19日3日1日10日20日7日2日4月5月出 来 事表5 年表(1957~1961年)夜間学級開設。学校長は吉原仁。3月末まで専任講師2名。昼間部より11名の教員が兼任講師。入学生徒は12名専任教諭2名。塚原・中村教諭が就任始業式。一年4名、二年2名、三年3名在籍生徒数男子8名、女子13名となる専任講師が着任するラジオ体操、コーラスを始める夏休み返上で月末まで特別講習会。以後恒例となる第一回キャンプ実施生徒休憩用ベッド2台購入し、職員室に置く初めて昼間部と共に運動会在籍生徒数男子18名、女子23名、計41名となるストーブ使用開始生徒の生活環境調査卒業記念8ミリ映画製作開始一回卒業式を昼間部合同で行う。第一期生13名卒業、2名進学専任教諭4名(塚原・中村・鈴木・滝戸)となる卒業記念製作8ミリ「ともしび」の公開発表会
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