早稲田教育評論 第36号第1号
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の充実が図られた。それから、『三十年のあゆみ』によると、開設以来職員を固定せず、交代制で昼間部との人事交流を図ってきていたが、夜間部は昼間部とは異なることから「専任が腰を据えてじっくり取り組む」ように1960年度から方向転換をした。「生徒からも同じ先生に長くいてほしい」という切実な声が出ていた39。ここからは表5の「年表」に基づいて学校の行事について述べる。九中夜間部の特徴として大きな学校行事が昼間部と合同で行われていたことが挙げられる。運動会、修学旅行、卒業式などがこれに該当する。「昼間の生徒、夜の生徒」というような区別を付けないことが第九中学校の教育方針の一つであったことが確認できる40。一方、夜間部の生徒のほとんど(1959年度は94%)が昼間就労していたため、行事への参加は難しかった41。毎年夏にキャンプを実施していた。キャンプは、1957年から1959年までは7月末に、1960年は8月に行われている。それ以外に、1958年6月4日にバスで校外学習をしていることがわかる。この日は、奥多摩小河内ダムを見学し、27名の生徒が参加している。1957年度7月末から夏期講習会を実施し、以後それが慣例となっている。運動会は昼間部と合同で行われていたが、1959年度より区立中学校連合運動会に参加している。知能テスト、学力テスト、中間テスト、期末テストなどが定期的の実施されていた。年表にもあるように、1958年の6月〜7月頃、また1959年11月〜12月頃に生徒の家出が頻発している。1959年1月27日には「通り魔事件」が発生し、女の子が一人刺殺され、学校近辺が騒然となったこともあった。その対策として当分下校を繰り上げている。生徒の家出といい、通り魔1年2年週年週年週年414041404140414041404140310531053105310531053105135135135310531053105135135135248402484027027027015117:30〜17:5017:50〜18:3018:40〜19:2019:25〜20:0520:10〜20:5020:50〜21:1521:15〜21:3021:30塚原 雄太教務、校外生活指導斎藤 哲夫庶務、校内生活指導山本  実塚原、日下田日下田 進桜井 和夫見城 慶和桜井 和夫表2 1958年度指導時数配当表学 科 名国語社会数学理科必修科目音楽図・工135135135保・体270270270職・家270270270選択科目英語道  徳道徳合計時数特別教育活動H.R.表3 1958年度日課表3年給  食第1校時第2校時第3校時第4校時清  掃H.R.下  校表4 1961年度校務分掌学校行事教育相談給  食図  書保健衛生進路指導24840

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