私は夜間学級を希望したわけでもなく、教育にのめり込んでいたのでもない。成り行きだったのだ。同僚の中村泰生さんもそうだ。共通点は二人とも『おっちょこちょい』だということだ。中学に夜間学級があるなんて聞いたこともない。木造校舎の二階の教室で初めて生徒たちに出あった。右のように固まった一七、八人の生徒を見てこりゃあ大人の顔だと思った。体つきは子供なのに。殆どが『夜間学級へ入学』と記入された入学通知書を持っていた。荒川区は夜間学級を堂々と設置したんだ、と思った。九分通り学齢者、クラスは3クラス専任は2人。担任は生徒の前でジャンケンで決めた。一週間も経つと教室や教室半分程の大きさの夜間学級の職員室にも暖かい空気が漂い始めた。夜、九時過ぎになっても帰りた ③特 典 出席の生徒にはすべて夕食を無料で給食するの外、教科書は全部貸与する。従って生徒の経費は一切無償である。 ④授 業 毎日午後五時半より九時十分まで、四時間の授業を行なう。冬期の暖房設備や電気の照明施設等は充分に考慮されている。 ⑤その他 夜間学生は前述のように、昼間の生徒と何等変わる所がない。卒業証書も、進学や就職も全く同一で、卒業後と雖も少しも差異はない。教師も夜間専任の者も数名勤務するが、大部分は昼間の教師が兼任する。 三、結 論 私は、荒川区唯一校の夜間中学校経営の責任者として、この開設までに骨を折られた各位の温情に対して、不遇な夜間学生のために出来るだけ親切に面倒をみてやり度いと思う。職場と勉学との摩擦の排除にも協力してやりたいし、就職や進学の相談相手にもなってやりたい。私自身夜間学生であった過去33を思えば、一層これ等生徒諸君の健康保持の面には注意を払ってやり度いと考えている。昼間の疲れのオアシスとして、楽しい夜間中学校の教室を経営して見たいと考えている。(三二、三、一)以上の吉原校長の記述から、上述の文部省の夜間学級設置条件の「暫定的な措置」であること、「第二部として扱う」ことなどに加え、「就学すべきも者はあくまで荒川区居住の者に限ること」が追加されていることがわかる。また、「運営の実際」として昼間の中学校に就学できない者は誰でも入学できることや、生徒に経費は一切負担されないこと、卒業や就職の際も昼間部と同一の扱いを受けられることなどが明記されている。上述のように、1957年2月に九中夜間部は開校式を挙げ、入学者12名、専任講師2名、兼任講師11名で出発した。4月になって9名の生徒が入学し、その後は、生徒数は19名となり、専任教諭として塚原雄太、中村泰生の2名が昼間部から転任する。塚原教諭は当時のことを次のように回想している34。1492.夜間中学校の実態2-1 九中夜間部の初期の様子
元のページ ../index.html#155