原仁である。」と述べており、「当時第九中学校は生徒減から、若干名の専任教員減を迫られていたため、人情家吉原仁は人事異動に悩んでおり、この際夜間中学を誘致することで、教員を移動させるという苦衷を切り抜けられるという深慮もあったと、私は直接校長から聞かされたことがあったが、夜間学級誘致の本旨は生活苦や家庭崩壊から登校不能に陥ってしまっている生徒たちへの愛情であったことは間違いない。」と続けている29。吉原校長は、人事異動を防ぐための対策としても夜間学級設置を考えていたことが明らかになるが、何よりも長期欠席生徒を救いたいという思いが強かったのだろう。一方、吉原校長自身は「地理的条件や、施設状況を勘案して我が第九中学校に併設されることになった」とも記述しており30、複数の条件が重なって夜間学級の設置が可能となったと考えられる。開校式の様子を東京都夜間中学校研究協議会は以下のように記している31。 夜六時、いつものように黒い屋根のひだが闇の中に低く沈んで黄色い街灯が寒々身ぶるいしているとき、荒川九中の校舎の二階の教室の中に四つの『ともしび』がともつてその下に、雑多な服装の年令の異なつた少年少女達が、区の教育関係者、吉原校長、教員たちの輪の中で無表情に、かたい木のイスに腰をおろしていた。そして、まるで申しわけないように、あかぎれと、ひびだらけの自分の膝の上の手をじつとみつめていた。区の代表者の話、校長の話、専任講師の紹介を受けたあと、やつと自分たちが生徒になつたことを自覚しはじめた十名程の入学者の表情になごやかな空気が漂いはじめた。吉原校長は、夜間学級趣旨や運営の方針等について、1957年3月1日の時点で以下のように記録している32。 一、夜間中学経営の方針 開設にあたって東京都教育委員会より次の様な通牒に接した。 〇 義務教育である中学校教育の本旨からして、夜間学級の設置はあくまで暫定的な措置であるから恒久的な制度とすることは望ましくないこと。 〇運営については常時教育委員会と連絡し、その指導を受けること。 〇中学校の二部授業として取り扱い、特別な名称を用いないこと。 〇生徒の保健衛生には十分留意すること。 〇就学すべきも者はあくまで荒川区居住の者に限ること。 以上によって、趣旨の概要は諒解されるわけである。 二、夜間学級運営の実際 ①入学について 区内在住の者で、或る事情によって、昼間の中学に就学出来得ない者は誰でも入学出来る。原則としては学令生徒(満十五才まで)を対象とするが、年令超過の者でも入学出来る。 ②入学手続 区教育委員会又は当該学校に申し込まれたい。どの学年に編入するかは、認定によって決定する。148
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