に論じられていない。夜間中学校への就学は、2016年12月に成立した「教育機会確保法」にも盛り込まれており、教育の機会均等を保障するための手段として現在も検討されている。夜間学級の成立期の実態を明らかにすることは、不登校などの現代の教育課題を克服する上でも基礎的知見を提供するものであろう。現代の夜間中学校は、戦後の教育改革によって新制中学校が誕生したのにも関わらず多数の長期欠席者・不就学者が存在した大都市の商工業地帯において、1949年以降、学校教育法第25条に基づく中学校の課程(第二部)として設置されたもので、旧制の中学校との連続性をもたない。あえてルーツを求めるなら、義務教育の普及を目指して設置された夜間小学校(尋常夜学校、国民夜学校など)となろうとされている5。尋常夜学校とは、1906年から1945年までの長い間、設置されて、社会の要求に応えてきたものである。1923年に市町村義務教育国庫負担法が公布されてからは、尋常夜学校は国民教育の普及と義務教育の徹底をはかるために、満12歳以上で義務教育を終えていない貧困やその他の事情のある者に対して、授業料を撤収しないだけでなく、学用品を支給するか貸すかの仕組みとなっていた6。終戦後は、日本の教育制度は連合軍総司令部の教育制度改革に対する根本方針の下で変えられ、教育関係の法規は急速に整えられることになった。尋常夜学校の制度は、みんなが等しく教育を受けるという根本の精神に反するということで廃止されたのである。法制的には教育の制度はほぼ完備されたわけではあったが、「この尋常夜学校の廃止は新しい社会における盲点をつくりだす結果」となった7。「東京都における夜間中学校の開設の理由ということの遠い原因は、終戦と同時に尋常夜学校を廃止したことにあるといってよい。」とされている8。このように、貧困やその他の事情で昼間学校に通えない生徒は義務教育が受けられなくなり、多数の長期欠席者や義務教育未修了者が生まれてしまった。その対策として、初めて夜間学級が開設されたのは、大阪市立生野第二中学校であったが、これは一部の中学校教師が自発的に開設したものであった。このような自主的な夜間学級は大阪府で次々と開設されていった。また、同じ時期に横浜市、神戸市においても自主的に夜間学級が開設されていた。1949年2月には、神戸市立駒ヶ林中学校に最初の公立夜間中学校が開設された。その影響を受け、その後、横浜市、京都市、東京都などにも公立の夜間学級が設置されるようになる。東京都で戦後初めて夜間中学校が開設されたのは1951年の足立区第四中学校においてであるが、その時点で全国の夜間中学校数は47校に上っており9、東京都以外の地域で戦後早い段階から夜間学級が設けられていることがわかる。そのことから東京都の長期欠席生徒への対応が遅れたとみることができる。1431.夜間中学校開設の背景1-1 夜間中学校の原点1-2 文部省、東京都教育委員会の対応と足立区立第四中学校夜間学級の設置
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