早稲田教育評論 第36号第1号
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南京国民政府時期(1927〜1949)における民衆教育館の展開 ─徐州民衆教育館の取り組みを中心に─16 規程では、閲覧部、講演部、健康部、生計部、遊芸部、陳列部、教学部、出版部といった8つの部署を最低限の組織体制と規定したのである。17 「省立民衆教育館之組織与設施的商榷」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年, 297〜306頁。18 「本館籌備進行概況」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年,1〜8頁。19 「本館之組織行政経費及設備」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年,77〜96頁。20 職員写真:「本館全体工作人員撮影」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年,前付。学習者写真:「江蘇省立鎮江民衆教下澱実施区八里屯民校成人班畢業撮影」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年,364頁。21 「五年来的生計部」,『教育新路』,1938年第118、119期,2頁。22 「江蘇省立鎮江民衆教育館職員一覧表」,『民衆教育通訊』,1931年第1巻第4、5期,12〜14頁。23 「本館二十四年職員一覧表」,『江蘇省立鎮江民衆教育館第六年』,鎮江江南印書館,1936年, 166〜170頁。24 趙如珩『江蘇省鑑』,新中国建設学会,1935年,392〜396頁。25 前掲(19)「本館之組織行政経費及設備」,77〜96頁。26 前掲(5)『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,236頁。27 前掲(5)『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,53頁。28 前掲(21)「五年来的生計部」,29頁。29 その理由については、以下のように二つがあると考える。まず、民衆茶園は他の地域の民教館でも展開されたが、徐海地区の民衆たちはお茶を飲む習慣がなかったため、こういった事業は民衆の生活と合わなかったと思われる。また、民衆茶園は娯楽施設と標榜したが、その工作暦によると、「民衆に世界労働節の意義について講演する」、「済南事件の記念活動を行う」、「北平学生運動史とその意義について講演する」、「革命政府成立史について講演する」、「二十一条の内容と交渉経過について講演する」といったように、政治的な宣伝が多く見られた。30 「五年来的教導部」,『教育新路』,1938年第116、117期,2頁。31 前掲(5)『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,12頁。32 前掲(5)『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,8頁。33 儲子潤「本館二十二年度民衆学校総報告」,『教育新路』,1935年第60期,15頁。34 「生計改進部工作報告」,『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,1933年,45頁。35 前掲(5)『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』,143頁。36 江蘇省立鎮江民衆教育館『四年来之江蘇省立鎮江民衆教育館』,江蘇省立鎮江民衆教育館出版,1934年,20〜23頁。139

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