南京国民政府時期(1927〜1949)における民衆教育館の展開 ─徐州民衆教育館の取り組みを中心に─表5 合作社員の信用度評定指標ラン職員より若年層職員のほうが多かった。また、管轄地域は江蘇省面積の4/1を有する広い地域にもかかわらず、教育庁が支出した経費は他の省立民教館より少なかった。以下、こういった状況下で徐州民教館における事業は具体的にどのように展開されたのかを検討する。孫文が作成した建国大綱(1924年)の第二条には、「建設の第一は民生に在り、故に全国人民の衣食住行の四大需要に対しては、政府は人民と協力して共に農業の発展を謀り、民食を充足せしめ、職業の発展を謀りて民衣を裕にし、大計画の各種家屋を建築して民居を楽ましめ、道路運河を修治して民行を便利ならしむ」と明確に建設の第一は民生にあると定められている。そのため、民衆の生活と緊密に関わる生計教育は、民衆生活の向上に対して重要な役目を持っていた。また、前述のように、徐海地区はもうすでに崩壊の危機に瀕していたと言っても過言ではない状態になっていた。このような地域の状況を考えると、生計教育の展開は緊迫した課題であると推察できる。しかし、前述したように徐州民教館の生計部においては、職員は少ないうえ異動が激しく、また内部組織の調整も何回も行われ、不安定な状態で生計教育の事業を展開してきたと言える。このように組織も不安定、職員も不安定な中では、生計教育の事業はどのように展開してきたのかを以下に考察する。徐州民教館は設立当初、生計教育の仕事としては合作社の運営に集中した。合作社とは資本家と中間者による搾取を排除し、共同経営によって社員の経済利益と生活改善を図る組織である。当時の中国では合作社という活動は民教館のみならず、全国範囲で各民間団体や教育機関でも積極的に行われていた事業であった。その種類には信用合作社をはじめ、生産合作社や輸送販売合作社などがあった。そこで徐州民教館は、主に信用合作社という形の合作社を取り扱い、各種貯金および貯蓄の受入や、農村での各種貸付などの事業を行った。しかし合作社の事業は農村部で持続的に運営するために、どのような者でも参加できるわけではなく、入社する社員は一定の資力と社会的信頼性が求められた。徐州民教館の「信用程度評定規程」によると、参加者の人柄のみならず、才能や財産、教育レベル、また家庭の環境も採点の対象となっていた。品行(50点)信実(20点)、悪習(10点)、勤倹(10点)、謹慎(5点)、正義(5点)才能(15点)生産能力(10点)、特殊技能(5点)貯蓄(10点)長年貯蓄(5点)、支出の控え(5点)財産(10点)株(5点)、個人財産(5点)教育(10点)識字能力(5点)、勉強心(5点)家庭(5点)家庭の調和(3点)、友好的な近所関係(2点)出典:『江蘇省立徐州民衆教育館周年記念特刊』26より 筆者作成131(三)徐州民教館の事業展開1.生計教育
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